番日影に成りそうな場処を択んだ。丁度旦那と大番頭とは並んだ。待設《まちもう》けた雲が来た。若い手代の幸作、同じく嘉助の忰《せがれ》の市太郎、皆な撮《うつ》った。


 三吉が出発の日は、達雄夫婦を始め、正太、お仙まで、朝のうちに奥座敷へ集った。三吉も夏服に着更えて、最早《もう》秋海棠《しゅうかいどう》などの咲出した裏庭を皆なと一緒に眺めながら、旅の脚絆《きゃはん》を当てた。ここへ来がけに酷《ひど》く馬車で揺られたと言って、彼は背中のある部分だけ薄く削取《けずりと》られたような上着を着ていた。
 三吉がこの山の中で書いたものは――達雄夫婦の賜物《たまもの》のように――手荷物の中に納めてあった。彼の心は暗い悲惨な過去の追想から離れかけていた。その若い思想《かんがえ》を、彼は静かなところで纏《まと》めてみたに過ぎなかった。
 通いで来る嘉助親子も、東京の客が発つというので、その朝は定時《いつも》より早く橋を渡って来た。
 朝飯の後、一同炉辺で別離《わかれ》の茶を飲だ。姉は名残が尽きないという風で、
「でも、よく来てくれた。何時でも来られそうなものだが、なかなか思うようにはいきません」
「どう
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