廻って歩く男女《おとこおんな》の群。他処《よそ》から来ている工女達は多くその中に混って踊った。頬冠りした若者は又、幾人《いくたり》かお春の左右を通り過ぎた。彼女は言うに言われぬ恐怖《おそれ》を感じた。丁度そこに若旦那も来ていた。お春は若旦那に手を引いて貰って、漸《ようや》くこの混雑《ひとごみ》から遁《のが》れた。
九月に入って、三吉は一夏かかった仕事を終った。お種から言えば二番目の弟にあたる森彦の貰われて行った家――この養家も姓はやはり小泉で、姉弟《きょうだい》の生れた家から見ると二里ほど手前にある――そこの老人から橋本へ便りがあった。「三吉も最早東京へ帰るそうなが、わざわざ是方《こちら》へ廻るには及ばん、直に帰れ、その方が両為《りょうだめ》だ」こんなことが書いてあった。
「両為とは、老人も書いてくれた」
こう達雄は、三吉にその手紙を見せて、笑った。この老人の倹約なことは、封筒や巻紙を見ても知れた。
いよいよ三吉の発って行くべき日が近づいた。復た何時《いつ》来られるものやら解らないから、と言って、達雄は酷《ひど》く名残《なごり》を惜んだ。三吉が表座敷で書いた物をも声を出して通
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