近かった。
 裏の畠《はたけ》で働く百姓の隠居も、その時|手拭《てぬぐい》で足を拭《ふ》いて、板の間のところにカシコマった。
「さあ、やっとくれや」
 と達雄は慰労《ねぎら》うように言った。隠居は幾度か御辞儀をして、「頂戴《ちょうだい》」と山盛の飯を押頂いて、それから皆なと一緒に食い始めた。
「三吉」とお種は弟の方を見て、「田舎《いなか》へ来て物を食べると、子供の時のことを思出すでしょう。直樹さんやお前さんに色々食べさせたい物が有るが、追々と御馳走《ごちそう》しますよ。お前さんが子供の時には、ソラ、赤い芋茎《ずいき》の御漬物《おつけもの》などが大好きで……今に吾家《うち》でも食べさせるぞや」
 こんなことを言出したので、主人も客も楽しく笑いながら食った。
 お種がここへ嫁《かたづ》いて来た頃は、三吉も郷里の方に居て、まだ極く幼少《おさな》かった。その頃は両親とも生きていて、老祖母《おばあ》さんまでも壮健《たっしゃ》で、古い大きな生家《さと》の建築物《たてもの》が焼けずに形を存していた。次第に弟達は東京の方へ引移って行った。こうして地方に残って居るものは、姉弟中でお種一人である。
「お春
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