るなら、すこし私に飲ましてくれませんか」
「そんなことは造作ない。吾家《うち》にあるから、くれる」
「母親《おっか》さんが生きてる時分には、時々私に飲ましてくれましたッけ――女の薬だが、飲めッて」
「ええ、男子《おとこ》にも血が起るということは有るで」
こう言って、お種は出て行った。やがて橋本の紋の付いた夏羽織と、薬草の袋と、水とを持って来た。紅いサフランの花弁《はなびら》は、この家で薬の客に出す為に特に焼かした茶椀の中へ浸して、それを弟に勧める。
「どんな夢を見るよ」と姉が聞いた。
「私の夢ですか」と三吉は顔に苦痛を帯びて、「友達の中には、景色の夢を見るなんて言う人も有りますがね、私は景色なぞを一度も見たことが無い。夢と言えば女が出て来る」
「馬鹿らしい!」と姉は嘲《あざけ》るように。
「いえ、姉さん、私は正直なところを話してるんです。だからこんな薬なぞを貰って飲むんです」
「お前さんの知ってる人かい」
「ところが、それが誰だか解らない。どう後で考えても、記憶《おぼえ》の無いような人が出て来るんです――多くは、素足で――火傷《やけど》でもしそうな、恐しい勢で。昨夜なぞは、林檎畠《り
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