渡るということは、別にお種は何とも思わなかった。唯、彼女は夫のことが気に懸って成らなかった。汽船に移ってから、彼女は余計に心細く思って来た。夫は最早傍に居なかった。


 伊豆行の汽船は相模灘《さがみなだ》を越して、明るい海岸へ着いた。旅客は争って艀に移った。お種も、湯《ゆ》の香《か》のする温泉地へ上った。
 伊東の宿には、そこでお種の懇意に成った林夫婦、隠居、書生などがその夏も来ていた。この家族は東京から毎年のように出掛けて来る浴客である。長い廊下に添うて、庭に面した二階の部屋がこの人達の陣取っていた処で、お種はその隣の一室へ案内された。不取敢《とりあえず》、彼女は嫁の豊世へ宛《あ》てて書いた。
 その日からお種は温泉宿の膳《ぜん》に対って、故郷の方を思う人であった。不思議にも、達雄からは文通が無かった。一週間待っても、二週間待っても、夫は一回の便りもしなかった。
 一月待った。まだそれでも夫からは便りが無かった。正太や豊世の許《ところ》から来る手紙には、父のことに就《つ》いて一言も書いてなくて、家の方は案じるなとか、くれぐれも身《からだ》を大切にして病を養ってくれよとか――唯、母に
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