れ》ませんが、どうも親が背後《うしろ》に居て、娘の指図《さしず》をするらしい……」
お種は何か思出したように、物に襲われるような眼付をしたが、それを口に出そうとはしなかった。
「よしんば、そうでないと致したところで」と嘉助は言葉を継いで、「家の格が違います。どうして、お前さま、あんな家から橋本へ貰えるものかなし……」
暮れかかって来た。屋根を越して来る山の影が、庭にもあり、一段高く斜に見える蔵の白壁にもあり、更に高い石垣の上に咲く夕顔|南瓜《かぼちゃ》などの棚《たな》にもあった。この家の先代が砲術の指南をした頃に用いた場所は、まだ耕地として残っていたが、その辺から小山の頂へかけて、夕日が映《あた》っていた。
百姓の隠居も鍬《くわ》を肩に掛けて、上の畠《はたけ》の方から降りて来た。
夕飯時を報《しら》せる寺の鐘が谷間に響き渡った。達雄は、縁先から、自分の家に附いた果樹の多い傾斜を眺めて、一杯は客の為に酌《く》み、一杯はよく働いてくれる大番頭の為に酌み、一杯は自分の健康の為に酌んだ。
「何卒《どうか》して、まあ、若旦那にも好いお嫁さんを……」と嘉助は旦那から差された盃《さかずき
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