代と机を並べて、朝は八時頃から日の暮れるまで倦《う》むことを知らずに働いた。沈香《じんこう》、麝香《じゃこう》、人参《にんじん》、熊《くま》の胆《い》、金箔《きんぱく》などの仕入、遠国から来る薬の注文、小包の発送、その他達雄が監督すべきことは数々あった。包紙の印刷は何程《どれほど》用意してあるか、秋の行商の準備《したく》は何程出来たか、と達雄は気を配って、時には帳簿の整理のかたわら、自分でも包紙を折ったり、印紙を貼《は》ったりして、店の奉公人を助け励ました。
 そればかりでは無い。達雄は地方の紳士として、外部《そと》から持込んで来る相談にも預り、種々《いろいろ》土地の為に尽さなければ成らない事も多かった。尤《もっと》も、政党の争闘《あらそい》などはなるべく避けている方で、祖先から伝わった業務の方に主《おも》に身を入れた。達雄の奮発と勉強とは東京から来た三吉を驚かした位である。
 三吉が着いて三日目にあたる頃、連《つれ》の直樹は親戚の家へ遊びに行った。その日は午後から達雄も仕事を休んで、奥座敷の方に居た。そこは家のものの居間にしてあるところで、襖《ふすま》一つ隔てて娘達の寐《ね》る部屋に
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