の品々めずらしくも無い物に御座候えども、御送り申上候。乾塩引は素人《しろうと》の俄《にわ》か干しに候間、何分身は砕け、うまみも無く候。されど今は斯《こ》の品ばかりの時節に候。尤《もっと》も、斯の品にて小なる物一本四十五銭に御座候。送り物に直段書《ねだんがき》などは可笑《おか》しく候。
 ――御話もいろいろ有之候えども、今日は之にて御免を願い上げ候。福子へも宜敷《よろしく》御伝え下されたく候。先《まず》は、あらあら。
                                    母 よ り
  雪子どの
 末筆ながら旦那様へ宜敷御申訳くだされたく、御頼申上げ※[#「※」は「まいらせそろ」の略記号、読みは「まいらせそろ」、116−14]。又、御近所へは何も進《あ》げる物なきゆえ、何卒々々よろしく御伝え下されたく候」
 お雪はしばらく生家《さと》へも書かなかった。この母からの便りは彼女に種々《いろいろ》なことを思わせた。お雪は、母の手紙を顔に押当てて、泣いた。


「どうしてそう家が面白くないんでしょうねえ」
 こうお雪は夫の傍へ子供を抱いて来て、嘆息するように言った。奥の庭の土塀《どべい》に近く、大きな李《すもも》の樹があった。沢山|密集《かたま》って生《な》った枝からは、紫色に熟した実がポタポタ落ちた。三吉は沈思を破られたという風で、子供の方を見て、
「なにも、俺は面白い家庭なぞを造ろうと思って掛ったんじゃない――初から、艱難《かんなん》な生活を送る積りだ」
「でもこの節は毎日々々考えてばかりいらっしゃるじゃ有りませんか」とお雪は恨めしそうに、「ああ、家を持ってこんな風に成ろうとは思わなかった」
「じゃ、こうだろう、お前のは平素《しょっちゅう》芝居でも見られるような家へ行きたかったんだろう」
「そう解《と》っちゃ困りますよ。芝居なんか見たか有りませんよ。直に貴方《あなた》はそれだもの。なんでも私の為《す》ることは気に入らない。第一、貴方は何事《なんに》も私に話して聞かせて下さらないんですもの」
「こうして話してるじゃないか」と三吉は苦笑《にがわらい》した。
「話してるなんて……」と言って、お雪は子供の顔を眺めて、「ああ、もっと悧好《りこう》な女に生れて来れば好かった。私も……私も……この次に生れ変って来たら……」
「生れ変って来たら、どうする」
 お雪は答えなかった。
「あんまり貴方も考え過ぎるんでしょう」
 とお雪は冷かに微笑《ほほえ》んで、「ちと曾根さんの方へでも遊びに行ってらしたらどうです」
「余計な御世話だ」と三吉は力を入れて言った。「お前は直に、曾根さん、曾根さんだ。それがどうした。お前のような狭い量見で社会《よのなか》の人と交際が出来るものか」こう彼は言おうとしたが、それを口には出さなかった。
「だって、こうして引籠《ひっこ》んでばかりいらっしゃらないで、御出掛に成ったら可いでしょうに……」
「行こうと、行くまいと、俺の勝手じゃないか」
 土塀の外の方では、近所の子供が集って李を落す音がした。
「房ちゃん」とお雪は子供を抱〆《だきしめ》るようにして、「父さんに嫌《きら》われたから、彼方《あっち》へ行きましょう」
 力なげにお雪は夫の傍を離れた。三吉は、「妙なことを言うナア」と口の中で言ってみて、復た考え沈んだ。
 暮れてから、三吉と直樹とは奥の部屋に洋燈《ランプ》を囲んで、一緒に読んだり話したりした。
 急にお雪は嘔気《はきけ》を覚えた。縁側の方へ行って吐いた。
「姉さん、どうなすったんですか」
 と直樹はお雪の側へ寄って、背中を撫《な》でてやる。
「ナニ、何でもないんです」とお雪は暫時《しばらく》動かずにいた後で言った。「難有《ありがと》う――直樹さん、もう沢山です」
 この嘔吐の音は直樹を驚かした。三吉は何か思い当ることが有るかして、すこし眉《まゆ》を顰《ひそ》めた。流許《ながしもと》の方から塩水を造って持って来て、それを妻に宛行《あてが》った。
 その晩は、お雪はお福と一緒に蚊帳《かや》を釣って、平常《いつも》より早くその内へ入った。蚊が居て煩《うるさ》いと言いながら、一度横に成った姉妹《きょうだい》は蝋燭《ろうそく》を点《とも》して、蚊帳の内を尋ね廻った。緑色に光る麻蚊帳を外から眺めながら、三吉と直樹の二人は遅くまで読んだ。
 お雪は何時までも団扇《うちわ》の音をさせていたが、夫や直樹の休む頃に復た起きて、蚊帳の外で涼んだ。三吉も寝る仕度をして、子供の枕許《まくらもと》を覗《のぞ》くと、お雪が見えない。
「何しているんだろうナア」
 こう独語《ひとりごと》のように言って、三吉は探してみた。表の入口の戸が明いていた。隣近所でも最早《もう》寝たらしい。向の料理屋の二階だけは未だ賑《にぎや》かで、三味線の
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