道に従事していることなどを三吉に語った。こういう薄命な、とはいえ独りで立って行こうとするほど意志の堅い婦人は、まだ外にも、曾根の周囲《まわり》にあった。曾根は女の力で支《ささ》えられたような家族の中に居て、又、女の力で支えられたような芸術に携《たずさわ》っていた。時とすると、彼女の言うことは、岩の間を曲り折《くね》って出て来る水のように冷たかった。
 間もなく夏の雨は通り過ぎた。三吉は客と一緒にこの眺望の好い二階を下りた。四人は高い石垣について、元来た城跡の道を歩いて行った。
 雨がかかると鶯《うぐいす》の象《かたち》が顕《あらわ》れるように言い伝えられた大きな石の傍へ来掛る頃は、復た連の二人がサッサと歩き出した。二人の後姿は突出た石垣の蔭に成った。
 曾根は草木の勢に堪《た》え難いような眼付をして、
「山の上へ参りましたら病気も癒《なお》るだろう、海よりは山の方が好い――なんて懇意な医者に言われるもんですから、人様も憐《あわれ》んで連れて来て下すったんですけれど……やっぱり駄目です……」
 独身でいる曾根の懊悩《なやみ》は、何とも名のつけようの無いもので有った。彼女は医者の言葉をすら頼めないという語気で話した。
「尤《もっと》も、僅か一週間ばかりの故《せい》だとは言いますけれど……」と復た曾根は愁《うれ》わしげに言った。
「貴方《あなた》のはどういう病気なんですか」と三吉は尋ねて、歩きながら巻煙草《まきたばこ》に火を点《つ》けた。
「我《わたくし》の持病です」と曾根は答えた。
 暫時《しばらく》二人は黙って歩いた。目映《まぶ》しい日の光は城跡の草の上に落ちていた。
「あんまり考え過ぎるんでしょう」
 と三吉は嘲《あざけ》るように笑って、やがて連の人達に追付いた。
 城門を出たところで、曾根は二人の婦人と一緒に世話に成った礼を述べた。鉄道草の生《お》い茂った踏切のところを越して、岡の蔭へ出ると、砂まじりの道がある。そこで曾根は三吉に別れて、疲れた足を停車場の方へ運んだ。
「曾根さんも相変らずの調子だナア」
 こう三吉は口の中で言ってみて、家を指して帰って行った。


 お雪は屋外《そと》に出して置いた張物板を取込んでいた。そこへ夫が帰って来た。曾根のことは二人の話に上った。
「真実《ほんと》に、曾根さんはお若いんですねえ……」とお雪は乾いた張物を集めながら言った。
「女の年齢《とし》というものは分らんものサ」と三吉も入口の庭に立って、「俺《おれ》は二十五六だろうと思うんだ」
「まさか。あんなにお若くって――二十二三位にしか見えないんですもの」
「独身《ひとり》でいるものは何時までもああサ」
「それに、あんなに派手にしていらっしゃるんですもの」
「そうさナア。あの人にはああいう物は似合わない」
「紫と白の荒い縞《しま》の帯なぞをしめて……あんな若い服装《なり》をして……」
「あの人のはツクルと不可《いけない》。洒瀟《さっぱり》とした平素《ふだん》の服装《なり》の方が可い。縮緬《ちりめん》の三枚重かなんかで撮《と》った写真を見たが、腰から下なぞは見られたものじゃなかった。なにしろ、ああいう気紛《きまぐ》れな人だから、種々な服装をしてみるんだろうよ……ある婦人《おんな》があの人を評した言葉が好い、他《ひと》が右と言えば左、他が白いと言えば黒いッて言うような人だトサ」
「悧好《りこう》そうな方ですねえ。私もああいう悧好な人に成ってみたい――一日でも可いから……ああ、ああ、私の気が利かないのは性分だ……私はその事ばかし考えているんですけれど……」
 こう言って、お雪は萎《しお》れた。
 直樹とお福とは部屋の方で無心に口笛を吹きかわしていた。
 その晩、三吉は直樹やお福を集めて、冷《すず》しい風の来るところで話相手に成った。
「さあ、三人でかわりばんこに一ツずつ話そうじゃ有りませんか」と直樹が言出した。「私が話したらば、その次にお福さん、それから兄さん」
「それじゃ泥棒廻りだわ」とお福が混反《まぜかえ》す。
「そんなら、兄さんから貴方」
「私は出来ません。話すことが無いんですもの」
 こう若い人達が楽しそうに言い争った。雑談は何時の間にか骨牌《トランプ》の遊に変った。
「姉さんもお入りなさいよ」と直樹はお雪の方を見て勧めるように言った。
「私は止《よ》します」とお雪は子供の傍で横に成る。
「何故《なぜ》?」と直樹はツマラなさそうに。
「今夜は何だか心地《こころもち》が悪いんですもの――」と言って、お雪は小さな手をシャブっている子供の顔を眺めた。
 無邪気な学生時代を思わせるような笑声が起った。「ああ、ツライなあ、運が悪いなあ」などと戯れて、直樹が手に持った札を数える若々しい声を聞くと、何時もお雪は噴飯《ふきだ》さずにいられないのであるが、
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