ついで》に、是非一緒に連れてッてくれ」
 こう実は、婚礼のあった翌日、三吉に向って茶話のように言出した。
 巣を造るか造らないに最早《もう》こういう難題が持上ろうとは、三吉も思いがけなかった。お杉やお倉ですら持余《もてあま》している宗蔵だ。その病人の世話が、嫁《かたづ》いて来たばかりのお雪に届くであろうか、覚束《おぼつか》なかった。実の頼みは、茶話のようで、その実無理にも強《し》いるような力を持ていた。とにかく、三吉は田舎へ発つまでに返事をすることにした。
 一方に学校を控えていたので、そう三吉もユックリする余裕は無かった。不取敢《とりあえず》、森彦、宗蔵の二人の兄に妻を引合せて行きたいと思った。
 名倉の母達が泊っている宿からは、柳行李《やなぎごうり》が幾個《いくつ》も届いた。「まあ、大変な荷物だ」と稲垣も来て言って、仮にそこへ積重ねてくれた。
 稲垣の家は近かった。三吉はお雪を連れて、その方に移されていた宗蔵を訪ねた。この病人の兄は例の縮《ちぢ》かまったような手を揉《も》んで、「遠方から御苦労様」という眼付をして、弟の妻に挨拶《あいさつ》した。
「宗さんには逢《あ》った。これから森彦さんの許《ところ》だ」と三吉は稲垣の家を出てから言った。
「その兄さんは何を為《な》さる方ですか」こうお雪が聞いた。
 長いこと森彦は朝鮮の方に行っていた。東亜の形勢ということに眼を着けて、その間種々な方面の人に知己の出来たことや、時には貿易事業に手を出したことなどは、大体の輪廓だけしか身内の者の間に知られていなかった。それから帰って来て、以前尽力した故郷の山林事件の為に、有志者を代表して奔走を続けている。この兄は、一平民として、地方の為に働きつつあるとは言える。しかし、何――屋とか、何――者とか、一口に話せないような人であった。
「まあ、俺《おれ》と一緒に行って、逢ってみるが可い」
 三吉はこんな風に言ってみた。
 森彦の旅舎《やどや》へは、お俊も三吉夫婦に伴われて行った。二階の座敷には熊の毛皮などが敷いてあって、窓に寄せて、机、碁盤《ごばん》の類が置いてある。片隅《かたすみ》に支那|鞄《かばん》が出してある。室内の心地《こころもち》よく整頓《せいとん》された光景《さま》を見ても、長く旅舎住居をした人ということが分る。
「よく来てくれた。私は兄貴の許《ところ》へ手紙を遣《や》って置
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