木曾の姉からの写真を見た後、実は奥座敷へ稲垣を呼んで、銀行の帳簿を受取ったり、用向の話をしたりした。
稲垣は出て行った。実は更に三吉を呼んで、弟の為に結婚の話を始めた。
三吉も結婚期に達していた。彼の友達の中には、最早《もう》子供のある人も有り、妻を迎えたばかりの人も有り、婚約の定《き》まった人も有った。大島先生という人の勧めから始まって、彼の前にも結婚の問題が起って来た。その縁談を実が引取て、大島先生と自分との交渉に移したのである。
三吉の過去は悲惨で、他の兄弟の知らないような月日を送ったことが多かった。実が一度失敗した為に、長い留守を引受けたのも彼が少壮《としわか》な時からで、その間幾多の艱難《かんなん》を通り越した。ある時は死んでも足りないと思われる程、心の暗い時すらあった。僅《わず》かに夜が明けたかと思う頃は、辛酸を共にした母が亡くなった。彼には考えなければ成らないことが多かった。
大島先生から話のあった人は、六七年前、丁度十五位の娘の時のことを三吉も幾分《いくら》か知っており、嫂は又、その頃房州の方で一夏一緒に居たことも有って、大凡《おおよそ》気心は分っていたが、なにしろ三吉のような貧しい思をして来た人ではなかった。彼は負債も無いかわりに、財産も無い。再三彼は辞退してみた。しかし大島先生の方では、一書生に娘を嫁《かたづ》かせようという先方の親の量見をも能《よ》く知っているとのことで、「万事|俺《おれ》が引受けた」と実はまた呑込顔《のみこみがお》でいる。こんな訳で、三吉はこの縁談を兄に一任した。
「お雪さんなら、必《きっ》と好かろうと思いますよ」とお倉もそこへ来て、大島先生から話のあった人の名を言って、この縁談に賛成の意を表した。
「なにしろ、大島先生の話では、先方《さき》の父親《おとっ》さんが可愛がってる娘《こ》だそうだ」と実も言った。「俺はまあ見ないから知らんが、父親さんに気に入る位なら必ず好かろう」
「私は能く知ってる」とお倉は引取て、
「脚気《かっけ》で房州の方へ行きました時に、あの娘《こ》と、それからもう一人|同年齢位《おないどしぐらい》な娘と、学校の先生に連れられて来ていまして一月程一緒に居ましたもの――尤《もっと》もあの頃は年もいかないし、御友達と一緒に貝を拾って、大騒ぎするような時でしたがね――あの娘なら、私が請合う」
「それに、
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