うなことまで考えて、種々《いろいろ》と正太の為に取越苦労をしていた。
「若いもののことですもの、お前さん、どんな間違がないとも限りませんよ――もし、子供でも出来たら。それを私は心配してやる」
 こうお種は言って、土地の風俗を蔑視《さげす》むような眼付をした。楽しそうな御輿の響は大切な若い子息《むすこ》を放縦《ほしいまま》な世界の方へと誘うように聞える……お種は正太のことを思ってみた。誰と一緒に、何処を歩いている、と思ってみた。そして、何の思慮も無い甘い私語《ささやき》には、これ程心配している親の力ですら敵《かな》わないか、と考えた。
「私が彼《あれ》に言って聞かせて、父親《おとっ》さんも女のことでは度々|失敗《しくじり》が有ったから、それをお前は見習わないように、世間から後指《うしろゆび》を差されないようにッて――ネ、種々《いろいろ》彼に言うんだけれど……ええええ、彼はもう父親さんのワルいことを何もかも知ってますよ」
 三吉は黙って姉の言うことを聞いていた。お種は更に嘆息して、
「旦那もね、お前さんの知ってる通り、好い人物《ひと》なんですよ。気分は温厚《すなお》ですし、奉公人にまで優しくて……それにお前さん、この節は非常な勉強で、人望はますます集って来ましたサ。唯、親としてのシメシがつかない。真実《ほんとう》に吾子の前では一言もないようなことばかり仕出来《しでか》したんですからね。旦那も今ではすっかり後悔なすって、ああして何事《なんに》も言わずに働いてる。旦那の心地《こころもち》は私によく解る。真実に、その方の失敗《しくじり》さえなかったら、旦那にせよ、正太にせよ……私は惜しいと思いますよ」
 お種は、気の置けない弟の前ですら、夫の噂《うわさ》することを羞《は》ずるという風であった。夫から受けた深い苦痛――その心を他人に訴えるということは、父の教訓《おしえ》が許さなかった。
「代々橋本家の病気だから仕方ない」
 とお種は独語《ひとりごと》のように言って、それぎり、夫の噂はしなかった。
 ゴットン、ゴットンという御輿の転《ころが》される音は、遅くまで谷底の方で、地響のように聞えていた。


 直樹は一月ほどしか逗留《とうりゅう》しなかった。植物の好きなこの中学生は、東京への土産《みやげ》にと言って、石斛《せっこく》、うるい、鷺草《さぎそう》、その他深い山の中でなければ
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