てましょう。殊《こと》に是処《ここ》のは荒神様《あらがみさま》で通っていますから、あの大きな御輿を町中|転《ころ》がして歩くんです。終《しまい》に、神社の立木へ持ってッて、輿を担《かつ》ぐ棒までヘシ折って了う。その為に毎年白木で新調するんです――エライことをやりますよ。髭《ひげ》の生《はえ》た人まで頬冠で揉《も》みに出るんですからネ」
 乾いた咽喉を霑《うるお》した後、復た正太は出て行った。
「宗助――幸助――宗助――幸助」
 と小僧が手拭《てぬぐい》を首に巻付けて出て行くのを見ると、三吉も姉の傍に静止《じっと》していられないような気がした。


 夜に入って、谷底の町は歓楽の世界と化した。花やかに光る提灯の影には、祭を見ようとする男女の群が集って、狭い通を潮のように往来した。押しつ押されつする御輿の地を打つ響、争い叫ぶ若者の声なぞは、人々の胸を波打つようにさせる。王滝川の岸に添うて二里も三里もある道を歌いながら通って来る幾組かの娘達は、いずれも連に離《はぐ》れまいとし、人に踏まれまいとして、この群集の中を互に手を引合って歩いた。中には雑踏《ひとごみ》に紛れて知らない男を罵《ののし》るものも有った。慾に目の無い町の商人は、簪《かんざし》を押付け、飲食《のみくい》する物を売り、多くの労働の報酬《むくい》を一晩に擲《なげう》たせる算段をした。町の中央にある広い暗い場処では踊も始まった。
 祭の光景《ありさま》を見て廻った後、一しきりは三吉も御輿に取付いて、跣足《はだし》に尻端折《しりはしょり》で、人と同じように「宗助――幸助」と叫びながら押してみたが、やがて額に流れる汗を拭《ふ》きつつ橋本の家の方へ帰って来た。足を洗って、三吉は涼しい風の来る表座敷へ行った。そこで畳の上に毛脛《けずね》を投出した。
「三吉帰ったかい」
 こう言いながら、お種も団扇《うちわ》を持って入って来た。
「私も横に成るわい。今夜は二人で話さまいかや」
 と復たお種が言って、弟の側に寝転《ねころ》んだ。東京にある小泉の家のことは自然と姉の話に上った。相続人《あととり》の実も今度はよくやってくれればいいがということ、次の森彦からも暫時《しばらく》便《たよ》りが無いこと、宗蔵の病気もどうかということ、それからそれへと姉の話は弟達の噂《うわさ》に移って、結局吾子のことに落ちて行った。お種は三吉の考えないよ
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