うなりに従順《すなお》に動いた。最早|処女《おとめ》の盛りを思わせる年頃で、背は母よりも高い位であるが、子供の時分に一度|煩《わずら》ったことがあって、それから精神《こころ》の発育が遅れた。自然と親の側《そば》を離れることの出来ないものに成っている。お種は絶えず娘の保護を怠らないという風で、物を言付けるにも、なるべく静かな、解《わか》り易《やす》い調子で言って、無邪気な頭脳《あたま》の内部《なか》を混雑させまいとした。お種は又、娘の友達にもと思って、普通の下婢のようにはお春を取扱っていなかった。髪もお仙の結う度《たび》に結わせ、夜はお仙と同じ部屋に寝かしてやった。
 主人《あるじ》や客をはじめ、奉公人の膳が各自《めいめい》の順でそこへ並べられた。心の好いお仙は自分より年少《としした》の下婢の機嫌《きげん》をも損《そこ》ねまいとする風である。
 仕度の出来た頃、母はお春と一緒に働いている娘の有様を人形のように眺《なが》めながら、
「お仙や、仕度が出来ましたからね、御客様にそう言っていらっしゃい」
 と言われて、お仙はそれを告げに奥の部屋の方へ行った。


 東京からの客というは、お種が一番末の弟にあたる三吉と、ある知人《しりびと》の子息《むすこ》とであった。この子息の方は直樹と言って、中学へ通っている青年で、三吉のことを「兄さん、兄さん」と呼んでいる。都会で成長した直樹は、初めて旅らしい旅をして、初めて父母の故郷を見たと言っている。二人は橋本の家で一夏を送ろうとして来たのであった。
「御客様は炉辺がめずらしいそうですから、ここで一緒に頂きましょう」
 とお種はそこへ来て膳に就《つ》いた夫の達雄に言った。三吉、直樹の二人もその傍に古風な膳を控えた。
「正太は?」
 と達雄は、そこに自分の子息が見えないのを物足らなく思うという風で、お種に聞いてみる。
「山瀬へ行ったそうですから、復《ま》た御呼ばれでしょう」
 こうお種は答えた。
 蠅《はえ》は多かった。やがてお春の給仕で、一同食事を始めた。御家大事と勤め顔な大番頭の嘉助親子、年若な幸作、その他手代小僧なども、旦那や御新造《ごしんぞ》の背後《うしろ》を通って、各自《めいめい》定まった席に着いた。奉公人の中には、二代、三代も前からこうして通って来るのも有る。この人達は、普通に雇い雇われる者とは違って、寧《むし》ろ主従の関係に
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