勿《なか》れ、という意味が極く簡単に言ってあった。
十一月に入って、復《ま》た実は電報を打って寄した。そうそうは三吉も届かないと思った。しかし、弟として、出来得るかぎりの力は尽さなければ成らないような気がした。せめて全額でないまでも、送金しようと思った。その為に、三吉は三月ばかり掛って漸く書き終った草稿を売ることにした。
「オイ、子供が酷《ひど》く泣いてるぜ。そうして休んでいるなら、見ておやりよ」
「私だって疲れてるじゃ有りませんか――ああ、復た今夜も終宵《よっぴて》泣かれるのかなあ。さあ、お黙りお黙り――母さんはもう知らないよ、そんなに泣くなら――」
こんな風に、夫婦の心が子供の泣声に奪われることは、毎晩のようであった。母の乳が止ってから、お房の激し易《やす》く、泣き易く成ったことは、一通りでない。それに、歯の生え初めた頃で、お房はよく母の乳房を噛《か》んだ。「あいた――あいた――いた――いた――ち、ち、ちッ――何だってこの児はそんなに乳を噛むんだねえ――馬鹿、痛いじゃないか」と言って、母がお房の鼻を摘《つま》むと、子供は断《ちぎ》れるような声を出して泣いた。
「馬鹿――」
と叱られても、お房はやはり母の懐《ふところ》を慕った。そして、出なくても何でも、乳房を咬《くわ》えなければ、眠らなかった。
三吉は又、自分の部屋をよく出たり入ったりした。子供の泣声を聞きながら机に対《むか》うほど、彼の心を焦々《いらいら》させるものは無かった。日あたりの好い南向の部屋とは違って、彼が机の置いてあるところは、最早寒く、薄暗かった。
収穫《とりいれ》の休暇《やすみ》が来た。農家の多忙《いそが》しい時で、三吉が通う学校でも一週間ばかり休業した。
ある日、三吉は散歩から帰って来た。お雪は馳寄《かけよ》って、
「西さんが被入《いら》っしゃいましたよ」
と言いながら二枚の名刺を渡した。
「御出掛ですかッて、仰《おっしゃ》いましてね――それじゃ、出直しておいでなさるッて――」とお雪は附添《つけた》した。
こういう侘《わび》しい棲居《すまい》で、東京からの友人を迎えるというは、数えるほどしか無いことで有った。やがて、「お帰りでしたか」と訪れて来た覚えのある声からして、三吉には嬉しかった。
西は少壮《としわか》な官吏であった。この人は、未だ大学へ入らない前から、三吉と往来して、
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