づら》の荷物を上《あが》り端《はな》のところへ卸した様子は、いかに旅の苦痛に耐えて、それに又慣らされているかということを思わせる。嘉助は草鞋《わらじ》の紐《ひも》を解いて上った。
「是方《こちら》でも子供衆が出来さっせえて、御新造さんも手が有らっせまいで、寄るだけは寄れ、御厄介には成るな――こう姉様《あねさま》から言付かって来ました」と嘉助が言った。
「まあ、そんなことを言わなくても可い。是非泊って行って下さい、姉さんの家の話も種々《いろいろ》伺いたい」
と三吉は引留めて、一年に一度ずつ宿をすることに定《き》めていると言った。お雪も勝手の方から飛んで来た。
嘉助は橋本の家を出て最早《もう》足掛二月に成るという。この長い行商の旅は、ずっと以前から仕来《しきた》ったことで、橋本の薬といえば三吉が住む町のあたりまで弘まっていた。燈火《あかり》の点く頃から、お雪も嘉助の話を聞こうとして、子供を抱きながら夫の傍へ来た。
「女のお児さんかなし。子供衆の持薬《じやく》には極く好いで、すこし置いていかず」
こう嘉助が言って、土産がわりに橋本の薬を取出した。
「貴方のところでもお嫁さんがいらしったそうで……」とお雪は正太の細君のことを言った。「豊世さんでしたね」と三吉も引取て、「吾家《うち》へも手紙を貰いましたが、なかなか達者に好く書いてありましたッけ」
「ええ、まあ、御蔭様で好いお嫁さんを見つけました。あれ位のお嫁さんは探したってそう沢山《たんと》無い積りだ。大旦那始め皆な大悦びよなし……」
と言って、嘉助は禿頭《はげあたま》を撫《な》でた。正太が結婚について、いかに壮《さか》んな式を挙げたかということは、この番頭の話で略《ほぼ》想像された。
「嘉助さんが褒《ほ》める位だから、余程好いお嫁さんに相違ないぜ」
「正太さんも御仕合ですこと」
こんな言葉を、三吉夫婦は番頭の聞いていないところで交換《とりかわ》した。
翌朝《よくあさ》早く嘉助は別離《わかれ》を告げて発った。その朝露を踏んで出て行く甲斐々々《かいがい》しい後姿は、余計に寂しい思を三吉の胸に残した。
三吉は東京の方の空を眺めて、種々な友達から来る音信《たより》を待ち侘《わ》びる人と成った。学校がひける、門を出る、家へ帰ると先ず郵便のことを尋ねる。毎日顔を突合せている同僚の教師の外には、語るべき友も無かった。
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