続いている。「お仙や」とお種は茶戸棚の前に坐りながら呼んだ。お仙は次の新座敷に小机を控えて、余念もなく薬の包紙を折っていたが、その時面長な笑顔を出した。
「お前さんも御休みなさい。皆なで御茶を頂きましょう」
 とお種に言われて、お仙は母の側へ来て、近過ぎるほど顔を寄せた。母の許を得たということがこの娘に取って何よりも嬉しかった。
 三吉も入って来た。
「貴方」とお種は夫の方を見て、「ちょっとまあ見てやって下さい。三吉がそこへ来て坐った様子は、どうしても父親《おとっ》さんですよ……手付《てつき》なぞは兄弟中で彼《あれ》が一番|克《よ》く似てますよ」
「阿爺《おやじ》もこんな不恰好《ぶかっこう》な手でしたかね」と三吉は笑いながら自分の手を眺める。
 お種も笑って、「父親さんが言うには、三吉は一番学問の好きな奴だで、彼奴《あいつ》だけには俺《おれ》の事業《しごと》を継がせにゃならん……何卒《どうか》して彼奴だけは俺の子にしたいもんだなんて、よくそう言い言いしたよ」
 三吉は姉の顔を眺めた。「あの可畏《こわ》い阿爺が生きていて、私達の為《し》てることを見ようものなら、それこそ大変です。弓の折かなんかで打《ぶ》たれるような目に逢います」
「しかし、お前さん達の仕事は何処《どこ》へでも持って行かれて都合が好いね」とお種が笑った。
 達雄は胡坐《あぐら》にした膝《ひざ》を癖のように動《ゆす》ぶりながら、「近頃の若い人には、大分種々な物を書く人が出来ましたネ。文学――それも面白いが、定《きま》った収入が無いのは一番困りましょう」
「言わば、お前さん達のは、道楽商売」とお種も相槌《あいづち》を打つ。
 三吉は答えなかった。
「正太もね、お前さん達の書いた物は好きで、よく読む」とお種は言葉を続けて、「やっぱり若い者は若い者同志で、何処か似たような処も有ろうから、なるべく彼《あれ》にも読ませるようにしていますよ……ええええ、そりゃあもう今の若い者が私達のような昔者の気では駄目です――そんなことを言ったって、三吉、これでも若い者には負けない気だぞや――こうまあ私は思うから、なるべく正太の気分が開けて行くように……何かまたそういう物でも読ませたら、彼の為に成るだろうと思って……」
「為に成るようなことは、先ずありません」
 こう三吉が言ったので、お種は夫と顔を見合せて、苦笑《にがわらい》した
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