伊豆の旅
島崎藤村

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)大仁《おほひと》へ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)皆|十文《ともん》だ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)[#「女+無」、第4水準2−5−80]《ひきつ》ける

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)われ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 汽車は大仁《おほひと》へ着いた。修善寺通ひの馬車はそこに旅人を待受けて居た。停車場を出ると、吾儕《われ/\》四人は直に馬車屋に附纏はれた。其日は朝から汽車に乘りつゞけて、最早《もう》乘物に倦んで居たし、それに旅のはじめで、伊豆の土を踏むといふことがめづらしく思はれた。吾儕は互に用意して來た金でもつて、出來[#「出來」は底本では「來出」]るだけ斯の旅を樂みたいと思つた。K君、A君、M君、揃つて出掛けた。私は煙草の看板の懸けてある小さな店を見つけて、敷島を二つ買つて、それから友達に追付いた。
「そろ/\腹が減つて來たネ。」
 とK君は私を見て笑ひ乍ら言出した。大仁の町はづれで、復た/\馬車屋が追馳けて來たが、到頭吾儕は乘らなかつた。「なあに、歩いた方が反つて暖いよ。」斯うは言つても、其實吾儕はこの馬車に乘らなかつたことを悔ゐた。それほど寒い思をした。山々へは雪でも來るのかと思はせた。私の眼からは止處《とめど》もなく涙が流れた。痛い風の刺激に逢ふと、必《きつ》と私はこれだ。やがて山間に不似合な大きな建築物《たてもの》の見える處へ出て來た。修善寺だ。大抵の家の二階は戸が閉めてあつた。出歩く人々も少なかつた。吾儕《われ/\》がブル/″\震へながら、漸くのことである温泉宿へ着いた時は、早く心地《こゝろもち》の好い湯にでも入つて、凍えた身體を温めたい、と思つた。火。湯に入るよりも先づ其方だつた。
 湯治に來て居る客も多かつた。部屋が氣に入らなくて、吾儕《われ/\》は帳場の上にある二階の一間に引越したが、そこでも受持の女中に頼んで長火鉢の火をドツサリ入れて貰つて、その周圍へ集つて暖《あた》つた。何となく氣は沈着《おちつ》かなかつた。
 湯に入りに行く前、一人の女中が入つて來て、夕飯《ゆふはん》には何を仕度しやうと尋ねた。「御酒をつけますか。」斯う附添して言つた。
「あゝ、お爛を熱くして持つて來とくれ。」とK君が答へた。
「姉さん、それから御酒《おさけ》は上等だよ。」
 吾儕の身體も冷えては居たが、湯も熱かつた。谷底の石の間から湧く温泉の中へ吾儕は肩まで沈んで、各自《めい/\》放肆《ほしいまゝ》に手足を伸ばした。そして互に顏を見合せて、寒かつた途中のことを思つて見た。
 其日、吾儕の頭腦《あたま》の内《なか》は朝から出逢つた種々雜多な人々で充たされて居た。咄嗟に過ぎる影、人の息、髮のにほひ――汽車中のことを考えると、都會の空氣は何處迄も吾儕から離れなかつた。吾儕は、枯々な桑畠や、淺く萌出した麥の畠などの間を通つて、こゝまで來たが、來て見ると斯の廣い湯槽《ゆぶね》の周圍へ集る人々は、いづれも東京や横濱あたりで出逢さうな人達ばかりである。男女の浴客は多勢出たり入つたりして居る。中には、男を男とも思はぬやうな顏付をして、女同志で湯治に來たらしい人達も居る。その人達の老衰した、萎びた乳房が、湯氣の内に朦朧と見える。吾儕は未だ全く知らない人の中へ來て居る氣はしなかつた。
 湯から上つて、洋服やインバスの脱ぎ散してある部屋へ戻つた。これから行く先の話が出た。K君とA君とは地圖を持出した。其時吾儕は茶代の相談をした。
「何處へ行つて泊つても僕は茶代を先へ出したことが無い。」斯うK君が言つた。「何時でも發つ時に置く。待遇が好ければ多く置いて來るし、惡ければまた其樣にして來る。」
「僕も左樣《さう》だナ。」とA君も言つた。
 兎に角、この雜踏した宿では先づ置くことにした。大船でサンドヰツチを買つた時から、M君は帳面方を引受けて居て呉れた。
 こゝの女中も矢張東京横濱方面から來て居るものが多いといふ。夕飯には、吸物、刺身、ソボロ、玉子燒などが附いた。女中は堅肥りのした手を延ばして、皆《みん》なの盃へ酒を注《つ》いだ。
「汽車の中で君に稻妻小僧の新聞を出して見せた女があつたネ。あの女なぞは餘程面白かつた。僕は左樣思つて見て來た――あれで得意なんだネ。」
 とK君は私の方を見て思出したやうに言つた。吾儕は樂しく笑ひ乍ら食つた。
 宿帳はA君がつけた。A君は皆なの年齡《とし》を聞いて書いた。K君三十九、A君は三十五、M君三十、私は三十八だ。やがてK君は大蛇のやうに横に成つた。醉へば心地好ささうに寢て了ふのがK君の癖だ。殘る三人は、K君の鼾を聞きながら話し續けた。

 翌朝頼んで置いた馬車が來た。吾儕は旅の仕度にいそがしかつた。仕度が出來ると、直に宿の勘定をした。
「K君、僕の方で拂はう。」と私が言つた。
「ナニ僕が出しとくよ。」とK君は懷中《ふところ》から紙入を出しながら答へた。
「ホウ、かゝりましたナ。」とA君は覗いて見た。
「隨分食つたからね。」とK君は笑つた。早速M君は手帳を取出した。
 宿からは手拭を呉れた。A君の風呂敷包は地圖やら繪葉書やら腦丸やら、それから修善寺土産やらで急に大きく成つた。吾儕は宿の内儀《おかみ》さんや番頭に送られて、庭の入口からがた馬車に乘つて出掛けた。
 天氣は好くても、風は刺すやうに冷かつた。K君、A君、M君、三人とも手拭で耳を掩ふやうにして、その上から帽子を冠つた。私の眼からは復た涙が流れて來た。車中の退屈まぎれに、吾儕は馬丁《べつたう》の喇叭を借りて戲れに吹いて見たが、そんなことから斯の馬丁も打解けて、路傍《みちばた》にある樹木の名、行く先/″\の村落を吾儕に話して聞かせた。斯うして狩野川の谷について、溯つた時は、次第に山深く進んで行つたことを感じた。ある村へさしかゝつた頃、吾儕は車の上から四十ばかりに成る旅窶れのした女に逢つた。其女は猿を負つて居た。馬車は驅せ過ぎた。
 湯が島へ着いた。やがて晝近かつた。温泉宿のあるところ迄行くと、そこで馬丁は馬を止めた。吾儕はこの馬車に乘つて天城山を越すか、それともこゝで一晩泊るか、未定だつた。山上の激寒を畏れて、皆なの説は湯が島泊りの方に傾いた。
 吾儕の案内された宿は谷底の樫の樹に隱れたやうな位置にあつた。其日は他に客もなくて、溪流に臨んだ二階の部屋を自由に擇ぶことが出來た。「夏は好いだらうね。斯樣《こん》なところへ一月ばかりも來て居たいね。」と互に言ひ合つた。天城の山麓だけあつて、寒いことも寒い。激しい山氣は部屋の内《なか》へ流れ込むので、障子を開放して置くことも出來ない位だつた。洋服で來たM君と私とは褞袍《どてら》に浴衣《ゆかた》を借りて着て、その上からもう一枚褞袍を重ねたが、まだ、それでも身體がゾク/\した。
 こゝへ來ると、最早《もう》全く知らない人の中だ。北伊豆の北伊豆らしいところは、雜踏した修善寺に見られなくて、この野趣の多い湯が島に見られる。何もかも吾儕の生活とは懸離れて居る。湯は温《ぬる》かつたが後はポカ/\した。晝飯《ひる》には鷄を一羽ツブして貰つた。肉は獸のやうに強《こは》かつた。骨は叩きやうが荒くて皆な齒を傷めた。しかし甘かつた。
「姉さん。」と私は山家者らしい女中に聞いて見た。「こゝは家《うち》の人だけでやつてるね……姉さんは矢張この家の人かね。」
「いゝえ、私はこゝの者ぢや御座いません。」と女中は答へた。
 この娘の出て行つた後で、A君が、「修善寺に比べると女中からして違ふネ。吾儕《われ/\》の前へ來るとビク/″\してる。」斯う考深い眼付をして言つて居た。
 日頃樫の樹に特別の興味を持つA君は誰よりも軒先に生ひ茂る青々とした葉の新しさを見つけた。この谷底の樫の樹を隔てゝ、どうかすると、雨でも降つて來たかと欺されるやうな氣のすることがあつた。よく聞けば矢張溪流の音だつた。この音から起る混交《いれまじ》つた感覺は別の世界の方へ吾儕を連れて行つた。吾儕は遠く家を離れたやうな氣がした。
「全く世間を忘れたね。」
 とK君は力を入れて言つた。
 K君と私はこの宿の繪葉書を取寄せて書いた。私はそれをA君にも勸めた。
「僕は旅から出したことが無い。」とA君が言つた。「左樣《さう》かなあ、吾家《うち》へ一枚出すかなあ。」
「M君、君も母親《おつか》さんのところへ出したら奈何《どう》です。」と私は言つて見た。
 M君は繪葉書を眺め乍ら笑つた。「めづらしいことだ――必《きつ》と誰かに教はつて寄《よこ》した、なんて言ふだらうなあ。」
 吾儕はこの二階で東京に居る人のことや、未だ互に若かつた時のことや、亡くなつた友達のことなどを語り合つた。K君は私の方を見て斯樣《こん》なことを言出した。
「僕の生涯には暗い影が近づいて來たやうな氣がするね、何となく斯う暗い可畏《おそろ》しい影が――君は其樣《そん》なことを思ひませんか。尤も、僕には兄が死んでる。だから餘計に左樣《さう》思ふのかも知れない。」
「君が死んだら、追悼會をしてやるサ。」と私は謔談《じやうだん》半分に言つた。
「今は其樣《そん》な氣樂を言つてるけれど――。」とK君は大きな體躯を搖りながら笑つた。「彼時は彼樣《あん》なことを言つたツけナア、なんて言ふんだらう。」
 到頭湯が島に泊ることに成つた。日暮に近い頃、吾儕《われ/\》は散歩に出た。門を出る時、私は宿の内儀さんに逢つた。「此邊には山芋《やまのいも》は有りませんかね。」と私は内儀さんに尋ねて見た。
「ハイ、見にやりませう。生憎只今は何物《なんに》も御座《ござい》ません時でして――野菜も御座ませんし、河魚も捕れませんし。」と内儀さんは氣の毒さうに言ふ。
「芋汁《とろゝ》が出來るなら御馳走して呉れませんか。」
 斯う頼んで置いて、それから谷を一※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りした。吾儕の爲に酒を買ひに行つた子供は、丁度吾儕が散歩して歸つた頃、谷の上の方から降りて來た。
 夕方から村の人は温泉に集まつた。この人達はタヾで入りに來るといふ。夕飯前に吾儕が温まりに行くと、湯槽の周圍《まはり》には大人や子供が居て、多少吾儕に遠慮する氣味だつた。吾儕は寧ろ斯の山家の人達と一緒に入浴するのを樂んだ。不相變《あひかはらず》、湯は温《ぬる》かつた。容易に出ることが出來なかつた。吾儕の眼には種々《いろ/\》なものが映つた――激しく勞働する手、荒い茶色の髮、僅かにふくらんだばかりの處女《をとめ》らしい乳房、腫物の出來た痛さうな男の口唇《くちびる》……
 夕飯には吾儕の所望した芋汁は出來なかつた。お菜《かず》は、鳥の肉の殘りと、あやしげな茶碗蒸と、野菜だつた。茶に臭氣《にほひ》のあるのは水の故《せい》だらうと言出したものがあつたが、左樣言はれると飯も同じやうに臭つた。こゝの女中が持つて來た宿帳の中には吾儕が知つて居る畫家《ゑかき》の名もあつたので、雜談は復たそれから始まつた。晝の間寂しかつた溪流の音は騷然《さわが》しく變つて來た。寢る前に吾儕はもう一ぱい入浴《はいり》に行つた。

 朝早く湯が島を發つた。吾儕を待つて居た馬車は、修善寺から乘せて來たのと同じで、馬丁《べつたう》も知つた顏だつた。天城の山の上まで一人前五十錢づゝ。夜のうちに霰が降つたと見えて、乘つて行く道路《みち》は白かつた。
「A君。」と私は膝を突き合せて居る友達の顏を眺めた。「斯うして天城を越すやうなことは、一生のうちに左樣《さう》幾度も有るまいね。」
「さうさナ、精々もう一度も來るかナ。なにしろまあ能く見て置くんだね。」
 斯うA君が答へた。其日A君が興奮した精神《こゝろ》の状態《ありさま》にあることを私はその力のある話振で知つた。朝日が寒い山の陰へ射《あた》つて來た。A君は高い響けるやうな聲を出して笑つた。

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