は旅から出したことが無い。」とA君が言つた。「左樣《さう》かなあ、吾家《うち》へ一枚出すかなあ。」
「M君、君も母親《おつか》さんのところへ出したら奈何《どう》です。」と私は言つて見た。
M君は繪葉書を眺め乍ら笑つた。「めづらしいことだ――必《きつ》と誰かに教はつて寄《よこ》した、なんて言ふだらうなあ。」
吾儕はこの二階で東京に居る人のことや、未だ互に若かつた時のことや、亡くなつた友達のことなどを語り合つた。K君は私の方を見て斯樣《こん》なことを言出した。
「僕の生涯には暗い影が近づいて來たやうな氣がするね、何となく斯う暗い可畏《おそろ》しい影が――君は其樣《そん》なことを思ひませんか。尤も、僕には兄が死んでる。だから餘計に左樣《さう》思ふのかも知れない。」
「君が死んだら、追悼會をしてやるサ。」と私は謔談《じやうだん》半分に言つた。
「今は其樣《そん》な氣樂を言つてるけれど――。」とK君は大きな體躯を搖りながら笑つた。「彼時は彼樣《あん》なことを言つたツけナア、なんて言ふんだらう。」
到頭湯が島に泊ることに成つた。日暮に近い頃、吾儕《われ/\》は散歩に出た。門を出る時、私は宿の
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