から上つて、洋服やインバスの脱ぎ散してある部屋へ戻つた。これから行く先の話が出た。K君とA君とは地圖を持出した。其時吾儕は茶代の相談をした。
「何處へ行つて泊つても僕は茶代を先へ出したことが無い。」斯うK君が言つた。「何時でも發つ時に置く。待遇が好ければ多く置いて來るし、惡ければまた其樣にして來る。」
「僕も左樣《さう》だナ。」とA君も言つた。
 兎に角、この雜踏した宿では先づ置くことにした。大船でサンドヰツチを買つた時から、M君は帳面方を引受けて居て呉れた。
 こゝの女中も矢張東京横濱方面から來て居るものが多いといふ。夕飯には、吸物、刺身、ソボロ、玉子燒などが附いた。女中は堅肥りのした手を延ばして、皆《みん》なの盃へ酒を注《つ》いだ。
「汽車の中で君に稻妻小僧の新聞を出して見せた女があつたネ。あの女なぞは餘程面白かつた。僕は左樣思つて見て來た――あれで得意なんだネ。」
 とK君は私の方を見て思出したやうに言つた。吾儕は樂しく笑ひ乍ら食つた。
 宿帳はA君がつけた。A君は皆なの年齡《とし》を聞いて書いた。K君三十九、A君は三十五、M君三十、私は三十八だ。やがてK君は大蛇のやうに横に成つ
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