こ》だネ。」
 謔語《じやうだん》の積りで言つて見て、私は眩暈《めまひ》を紛さうとしたが、何となく底の知れない方へ引入れられるやうな氣がした。
 燈臺の入口にある壁のところには額が掛けてあつた。その額の下に燈臺守の子供らしい娘が倚凭《よりかゝ》つて立つて居た。猶よく見やうとするうちに、一艘の汽船が駿河灣の方から進んで來た。
「あの船だ。」とK君が言つた。「船で歸るんなら、こゝに愚圖愚圖して居たんぢや間に合はない。」
「駄目らしいナア。」とA君は言つた。「吾儕が長津呂まで行くうちには彼船《あのふね》は出て了ふ。」
 斯う言ひ合つたが、成るなら歩いて歸りたくなかつた。そこで燈臺の見物をそこ/\にして長津呂の方へ引返すことにした。
 其樣《そんな》に急いで歸るにも當らなかつた。岬で見たのは別の汽船だつた。吾儕を乘せて下田まで歸る船は未だ來なかつた。汽船宿で聞くと一時間の餘も待たなければなるまいと言ふ。で案内されて、まだ新規に始めたばかりの旅舍《やどや》へ行つて、若い慣れない内儀さんに晝飯の仕度を頼んだ。
 全く知らない生活を營む素朴な人々の中に、一時間ばかり居た。吾儕は草鞋穿のまゝ、廣い庭の
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