君はインバネスを置いて行くことにした。A君は衣服を一枚脱いだ。宿へは茶代だけやつて、それから新しい草鞋を穿いて、發つた。
長津呂《ながつろ》の漁村へ行くに丁度晝迄かゝつた。そこから斷崖の間にある細道を攀ぢた。登ると、松林の中へ出た。半島の絶端を極めたいと思ふ勃々とした心が先に立つて、吾儕はこゝへ來る迄の疲勞《つかれ》と熱苦しさとを忘れた。「僕は斯ういふ路を歩いて行くのが好きサ。」とK君は私を顧みながら言つた。「僕も好きだ。」と私が答へた。やがて松と松の間が青く光つて來た。遠江灘《とう/\みなだ》が開けた。石室崎《いらうざき》の白い燈臺のあるところまで行くと、そこで伊豆は盡きた。望樓もあつた。吾儕は制服を着た望樓の役人に逢つた。この役人は寂しい生活に飽いたやうな、生氣の無い眼付で吾儕を眺めて居た。
「A君、來て見給へ。」とM君は燈臺に近い絶壁の上に立つて呼んだ。
A君、K君續いて私もM君と一緒に成つた。吾々は深い海を下瞰《みおろ》して思はず互に顏を見合せた。其時急激な、不思議な戰慄《みぶるひ》は私の身體を傳つた。私は長くそこに立つて居られないやうな氣がした。
「同じ死ぬんなら是處《こ
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