、A君が右を當てるうちに左の方の紐を結んでやつた。
「A君は痩せてるね。」とK君は私の方を見て笑ひ乍ら言つた。
「この足袋を見給へ、宛然《まるで》死人《しびと》が穿いたやうだ。」
「いくらでも、其樣《そん》な警句の材料にするが可いサ。」斯うA君も苦笑して、痩せた足に大きな足袋で、部屋の内《なか》を歩いて見た。
「僕は今迄この白足袋を穿いたことが無い。何時でも紺足袋ばかり。」とA君はまた思出したやうに言つた。「男が白足袋を穿くなんて、柔弱だ――よく阿爺《おやぢ》に言はれたものだ。僕の阿爺はやかましかつたからねえ。ある時などは、家のものゝ袖が長いと言つて――ナニ其樣《そんな》に長い方ぢや無いんでさ、女としては寧ろ短い方でさ――それを鋏でもつてジヨキ/″\切つちやつた……」
私はA君の顏を眺めた。「君の父親《おとつ》さんは其樣《そんな》に嚴格だつたかね。」
「えゝ、えゝ。」とA君は今更のやうに亡くなつた父親を追想するらしかつた。「そのかはり、御蔭で好い事を覺えましたよ――木綿の衣服《きもの》を着て何處へ出ても、すこしも可羞《はづか》しいと思はなくなりましたよ。」
途中の温さを想像して、K
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