を飲む地方の人は心までも潔いとやら。日頃飲む水の軽さ、重さ、荒さ、やはらかさが、自然とわたしたちの体質や気質にまで影響することはありさうに思はれる。その意味から言つて、伊香保がどことなく田舎めき、他の温泉地に見るやうな華美がすくなく、土地のものはむしろ昔ながらの質朴を誇つてゐるといふのも、偶然ではないかも知れない。
山の湯たりとも人の発掘したものには相違ない。昔の人はこゝに神仏礼拝の霊場を結びつけ、今の人はスキイ場なぞの娯楽と運動の機関を結びつける。さういふ旧いものと新しいものとがこゝには同棲してゐる。二百年も以前から代々この地にあつて湯宿を営むことを誇りとし今だに本家分家の区別をやかましく言ふやうな古めかしさは、おそらく近代的なケエブル・カアの設備やその大仕掛な電気事業とよく調和しないやうなものであるが、それがこの温泉地にあつては左程の不調和でないのも不思議だ。まつたく、どこの温泉地にも見つけるやうな卑俗なものから、一切を洗ひきよめるやうな自然なものまでが一緒になつて、しかもその不調和を忘れさせるといふのも、温泉の徳であらう。
旅に来ては口に合ふ食物もすくない。わたしたちのや
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