書いたものは、何年たつて開いて見ても好い。土を踏まないこと五十日、とその日記の最初に出てゐる病後らしい消息の記事が先づ身にしみた。家を出るにもそゞろに足が行きなやんで、たちまち眼もくるめくとある。

   年寄に留守をあづけて秋の旅
   唐黍は採りてたうべよ留守のほど
   朝顔の垣根に寄るや暇乞

 これらはその日記の中に見える首途の吟で、人をいたはり、又みづからをいたはる病後の思ひがにじむばかりに出てゐる。殊に、年寄に留守をあづけてと何気なくうち出してある述懐には心をひかれた。さういふわたしは自分一人ぎりの旅でもない。川越から上京した老母に留守を頼み、妻同伴でこの保養に出掛けて来た。
 その日記の中に、『あんこ別れ』といふ伊香保言葉が出てゐる。この温泉地へ通ふ電車や自動車の便もまだなかつた昔は、毎年の夏、山駕籠をかつぐ男が湯の客の送り迎へに、麓の村々から集まつて来るものも多かつたとか。そろ/\山も寒く、湯の客も散ずる季節を迎へると、九月十五日といふ日の晩を期して、仲間のもの一同が互に慰労の酒を酌みかはす。伊香保にとゞまつて山かせぎするものも、山を降りて思ひ/\の家路に就かうとするものも、こぞり、つどつて、その一夜を飲みあかすことを駕籠かきどもの『あんこ別れ』といふよしである。

 この『あんこ別れ』の一語には伊香保の昔が残つてゐて、今でもそれを感じられるやうに思はれるが、しかしその言葉の意味は最早土地のものにもはつきりしない。伊香保日記の筆者もそのことを言つて、あんこはあの子であらうか、そんなら、あんこ別れはあの子別れである、馴染の女に別れるといふこゝろであらうと書いてある。このことは土地のものに尋ねて見てもはつきりしないと言つてゐた。わたしたちはあんこ別れの昔を感ずることは出来ても、それを説き明すといふことは出来ない。しかし、『あんこ』といふことは、わたしの郷里の方でも言ふ。木曾では女馬をあんこ馬とも言ふ。あんこ別れはしばらく馴染になつた土地の女子に別れるの意味であらう。

 わたしたちが渋川から伊香保に着いたのは、晴れたり曇つたりするやうな日の午後で、時に薄い泄れ日が谷の窪地に射して来たり、時に雷雨がやつて来たりした。軽井沢あたりのやうな空気の乾く高原地へ行つたともちがひ、わたしたちは山の中腹の位置に身を置いて、思ふさま、うち湿つた山気を呼吸することが出来
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