つては羽《はね》をひろげました。その度《たび》に舞《ま》ひ降《お》りるばかりでした。
雄鷄《おんどり》はもう高《たか》い聲《こゑ》で閧《とき》をつくるやうな勇氣《ゆうき》も挫《くじ》けまして、
『クウ/\、クウ/\。』
と拾《ひろ》ふ餌《え》もなくて鳴《な》きました。
そこへ山鳩《やまばと》が通《とほ》りかゝりました。山鳩《やまばと》は林《はやし》の中《なか》に聞《き》き慣《な》れない鷄《にはとり》の鳴聲《なきごゑ》を聞《き》きつけまして、傍《そば》へ飛《と》んで來《き》ました。百舌《もず》や鶸《ひは》とちがひ、山鳩《やまばと》は見《み》ず知《し》らずの雄鷄《おんどり》をいたはりました。
『もうすこしの辛抱《しんぼう》――もうすこしの辛抱《しんぼう》――』
と鳴《な》いて、山鳩《やまばと》は林《はやし》の奧《おく》の方《はう》へ飛《と》んで行《い》きました。
饑《かつ》えた雄鷄《おんどり》は一生懸命《いつしやうけんめい》に餌《え》を探《さが》しはじめました。他《ほか》の鳥《とり》に拾《ひろ》はれないうちに、自分《じぶん》で木《き》の實《み》や虫《むし》を見《み》つけるためには、否《いや》でも應《おう》でも飛《と》ばなければ成《な》りませんでした。その時《とき》になつて、初《はじ》めて雄鷄《おんどり》の羽《はね》が動《うご》いて來《き》ました。そして餌《え》らしい餌《え》にありつきました。


雄鷄《おんどり》はこの林《はやし》へ飛《と》びに來《き》て見《み》て、鷹《たか》があんな高《たか》い空《そら》を舞《ま》つて歩《ある》くのも、自分《じぶん》で餌《え》を見《み》つけに行《い》くのだといふことを知《し》りました。

   三六 たなばたさま

三|月《ぐわつ》、五|月《ぐわつ》のお節句《せつく》は、樂《たの》しい子供《こども》のお祭《まつり》です。五|月《ぐわつ》のお節句《せつく》には、父《とう》さんのお家《うち》でも石《いし》を載《の》せた板屋根《いたやね》へ菖蒲《しやうぶ》をかけ、爺《ぢい》やが松林《まつばやし》の方《はう》から採《と》つて來《く》る笹《さゝ》の葉《は》で粽《ちまき》をつくりました。七|月《ぐわつ》になりますと、又《また》、たなばたさまのお祭《まつり》の日《ひ》が山《やま》の中《なか》の村《むら》へも來《き》ました。
たなばたさまのお祭《まつり》に飾《かざ》る竹《たけ》は、あれは外國《ぐわいこく》の田舍家《ゐなかや》で飾《かざ》るといふクリスマスの木《き》にも比《くら》べて見《み》たいやうなものです。墨《すみ》や紅《べに》を流《なが》して染《そ》めた色紙《いろがみ》、または赤《あか》や黄《き》や青《あを》の色紙《いろがみ》を短册《たんざく》の形《かたち》に切《き》つて、あの青《あを》い竹《たけ》の葉《は》の間《あひだ》に釣《つ》つたのは、子供心《こどもごゝろ》にも優《やさ》しく思《おも》はれるものです。

   三七 巴且杏《はたんきやう》

巴且杏《はたんきやう》の生《な》る時分《じぶん》には、お家《うち》の裏《うら》のお稻荷《いなり》さまの横手《よこて》にある古《ふる》い木《き》にも、あの實《み》が密集《かたま》つて生《な》りました。父《とう》さんは自分《じぶん》の子供《こども》の時分《じぶん》と、あの巴且杏《はたんきやう》の生《な》る時分《じぶん》とを、別々《べつ/\》にして思《おも》ひ出《だ》せないくらゐです。巴且杏《はたんきやう》は李《すもゝ》より大《おほ》きく、味《あぢ》も李《すもゝ》のやうに酸《す》くはありません。あの木《き》は、先《さき》の方《はう》の少《すこ》し尖《とが》つて角《つの》の出《で》たやうな、見《み》たばかりでもおいしさうに熟《じゆく》したやつを毎年《まいねん》どつさり父《とう》さんに御馳走《ごちそう》して呉《く》れましたつけ。

   三八 鰍《かじか》すくひ

父《とう》さんの兄弟《きやうだい》の中《なか》に三つ年《とし》の上《うへ》な友伯父《ともをぢ》さんといふ人《ひと》がありました。この友伯父《ともをぢ》さんに、隣家《となり》の大黒屋《だいこくや》の鐵《てつ》さん――この人達《ひとたち》について、父《とう》さんもよく鰍《かじか》すくひと出掛《でか》けました。
胡桃《くるみ》、澤胡桃《さはくるみ》などゝいふ木《き》は、山毛欅《ぶな》の木《き》なぞと同《おな》じやうに、深《ふか》い林《はやし》の中《なか》には生《は》えないで、村里《むらさと》に寄《よ》つた方《はう》に生《は》えて居《ゐ》る木《き》です。漆《うるし》の葉《は》を大《おほ》きくしたやうなあの胡桃《くるみ》の葉《は》の茂《しげ》つたところは、鰍《かじか》の在所《ありか》を知《し》らせるやうなものでした。何故《な
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