》の幼少《ちひさ》な時分《じぶん》には、ごく弱《よわ》かつたものですから、この白狐《しろぎつね》はこれでも育《そだ》つかしら、と皆《みんな》に言《い》はれたくらゐださうです。その私《わたし》を可哀《かあい》さうに思《おも》つて、親狐《おやぎつね》は私《わたし》の言《い》ふなりに育《そだ》てゝ呉《く》れましたとか。私《わたし》は他《ひと》の言《い》ふことなぞを聞《き》かないで、自分《じぶん》のしたい事《こと》をしました。鷄《にはとり》が食《た》べたければ、鷄《にはとり》を盜《ぬす》んで來《き》ました。そんな眞似《まね》をして、もう我儘《わたまゝ》一《いつ》ぱいに振舞《ふるま》つて居《を》りますうちに、だん/″\私《わたし》は[#「は」は底本では「ば」]獨《ひと》りぼつちに成《な》つてしまひました。誰《たれ》も私《わたし》とは交際《つきあ》はなくなりました。私《わたし》の眼《め》が覺《さ》める時分《じぶん》には、誰《だれ》も私《わたし》の言《い》ふことを本當《ほんたう》にして呉《く》れる者《もの》はありませんでした。御覽《ごらん》の通《とほ》り、私《わたし》は今《いま》、お稻荷《いなり》さまの社《やしろ》の番人《ばんにん》をして居《ゐ》ます。私《わたし》のやうな狐《きつね》でも生《うま》れ變《かは》つたやうになれば、斯《か》うして社《やしろ》の番人《ばんにん》をさせて頂《いたゞ》けるのです。私《わたし》がもう若《わか》い時分《じぶん》のやうな惡戯《いたづら》な狐《きつね》でない證據《しようこ》には、この私《わたし》の口《くち》を御覽《ごらん》になつても分ります。私《わたし》がお稻荷《いなり》さまのお使《つか》ひをして歩《ある》く度《たび》に、この口《くち》にくはへて居《ゐ》る寶珠《はうじゆ》の玉《たま》が光《ひか》ります。』
とさう申《まを》しました。
二九 生徒《せいと》さん、今日《こんにち》は
村《むら》の學校《がくかう》の生徒《せいと》が石垣《いしがき》の間《あひだ》の細《ほそ》い道《みち》を歸《かへ》つて來《き》ますと、こちらの石垣《いしがき》から向《むか》ふの石垣《いしがき》の方《はう》へ通《とほ》りぬけようとする鼠《ねずみ》がありました。丁度《ちやうど》、村《むら》では惡戯《いたづら》をした鼠《ねずみ》の噂《うはさ》が傳《つた》はつて居《ゐ》る頃《ころ》でした。いかにそゝツかしい山家《やまが》の鼠《ねずみ》でも、そこに寢《ね》て居《ゐ》る女《をんな》の人《ひと》の鼻《はな》を間違《まちが》へて、お芋《いも》かなんかのやうに食《た》べようとしたなんて、そんなことはめつたに聞《き》かない惡戯《いたづら》ですから。
學校《がくかう》の生徒《せいと》に逢《あ》つた鼠《ねずみ》は賢《かしこ》い鼠《ねずみ》でした。他所《よそ》の鼠《ねずみ》の惡戯《いたづら》から、自分《じぶん》までその仕返《しかへ》しをされては堪《たま》らないと思《おも》ひましたから、先《ま》づ自分《じぶん》の鼻《はな》を大事《だいじ》[#ルビの「だいじ」は底本では「なだいじ」]さうにおさへて居《ゐ》まして、それから斯《か》う挨拶《あいさつ》しました。
『生徒《せいと》さん、今日《こんにち》は。』
三○ 黒《くろ》い蝶蝶《てふてふ》
ある日《ひ》のことでした。父《とう》さんはお家《うち》の裏木戸《うらきど》の外《そと》をさん/″\遊《あそ》び廻《まは》りまして、木戸《きど》のところまで歸《かへ》つて來《き》ますと、高《たか》い枳殼《からたち》の木《き》の上《うへ》の方《はう》に卵《たまご》でも産《う》みつけようとして居《ゐ》るやうな大《おほ》きな黒《くろ》い蝶々《てふ/\》を見《み》つけました。
いろ/\な可愛《かあい》らしい蝶々《てふ/\》も澤山《たくさん》ある中《なか》で、あの大《おほ》きな黒《くろ》い蝶々《てふ/\》ばかりは氣味《きみ》の惡《わる》いものです。あれは毛蟲《けむし》の蝶々《てふ/\》だと言《い》ひます。何《なん》の氣《き》なしに父《とう》さんはその蝶々《てふ/\》を打《う》ち落《おと》すつもりで、木戸《きど》の内《うち》の方《はう》から長《なが》い竹竿《たけざを》を探《さが》して來《き》ました。ほら、枳殼《からたち》といふやつは、あの通《とほ》りトゲの出《で》た、枝《えだ》の込《こ》んだ木《き》でせう。父《とう》さんが蝶々《てふ/\》をめがけて竹竿《たけざを》を振《ふ》る度《たび》に、それが枳殼《からたち》の枝《えだ》を打《う》つて、青《あを》い葉《は》がバラ/\落《お》ちました。
そのうちに蝶々《てふ/\》は父《とう》さんの竹竿《たけざを》になやまされて、手傷《てきず》を負《お》つたやうでしたが、まだそれでも逃《に》げて行
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