知《し》らないお婆《ばあ》さんは見《み》かけによらない優《やさ》しい人でして、學校通《がくかうかよ》ひをする生徒《せいと》がかじかんだ手《て》をして居《ゐ》ましたら、それをお婆《ばあ》さんは自分《じぶん》の手《て》で温《あたゝ》めて呉《く》れました。
『まあ、斯樣《こん》なかじかんだ手《て》をして、よく寒《さむ》くありませんね。そのかはり、お前《まへ》さんが遠路《とほみち》を通《かよ》ふものですから、丈夫《ぢやうぶ》さうに成《な》りましたよ。御覽《ごらん》、お前《まへ》さんの頬《ほゝ》ぺたの色《いろ》の好《よ》くなつて來《き》たこと。』
とさう言《い》ひました。
生徒《せいと》は知《し》らない人《ひと》から斯樣《こん》なことを言《い》はれたものですから、そのお婆《ばあ》さんをよく見《み》ましたら、右《みぎ》の手《て》には山《やま》からでも伐《き》つて來《き》たやうな細《ほそ》い木《き》の杖《つえ》をついて、左《ひだり》の手《て》には籠《かご》を提《さ》げて居《ゐ》ました。籠《かご》の中《なか》には、青々《あを/\》とした蕗《ふき》の蕾《つぼみ》が一ぱい入《はひ》つて居《ゐ》ました。そのお婆《ばあ》さんは、まるでお伽話《とぎばなし》の中《なか》にでも出《で》て來《き》さうなお婆《ばあ》さんでした。
『お前《まへ》さんは誰《だれ》ですか。』
と生徒《せいと》が尋《たづ》ねましたら、お婆《ばあ》さんはニツコリしながら、提《さ》げて居《ゐ》る籠《かご》の中《なか》の蕗《ふき》の蕾《つぼみ》を見《み》せまして
『私《わたし》は「冬《ふゆ》」といふものですよ。』
と生徒《せいと》に言《い》つて聞《き》かせました。夫《それ》から、こんな事《こと》も言《い》ひました。
『お家《うち》へ歸《かへ》つたら、父《とう》さんや母《かあ》さんに見《み》てお貰《もら》ひなさい。お前《まへ》さんの頬《ほつ》ぺたの紅《あか》い色《いろ》もこのお婆《ばあ》さんのこゝろざしですよ。』

   五五 少年《せうねん》の遊学《いうがく》

父《とう》さんは九つの歳《とし》まで、祖父《おぢい》さんや祖母《おばあ》さんの膝下《ひざもと》に居《ゐ》ましたがその歳《とし》の秋《あき》に祖父《おぢい》さんのいゝつけで、東京《とうきやう》へ學問《がくもん》の修業《しうげふ》に出《で》ることに成《な》りました。父《とう》さんは友伯父《ともをぢ》さんと一|緒《しよ》にお家《うち》の伯父《をぢ》さんに連《つれ》られて行《ゆ》くことに成《な》りました。
『二人《ふたり》とも東京《とうきやう》へ修業《しうげふ》に行《ゆ》くんだよ。』
と伯父《をぢ》さんに言《い》はれて、父《とう》さんは子供心《こどもごゝろ》にも東京《とうきやう》のやうなところへ行《ゆ》かれることを樂《たのし》みに思《おも》ひました。父《とう》さんより三つ年長《としうへ》の友伯父《ともをぢ》さんが、その時《とき》やうやく十二|歳《さい》でした。
今《いま》から思《おも》へば祖母《おばあ》さんもよくそんな幼少《ちひさ》な兄弟《きやうだい》の子供《こども》を東京《とうきやう》へ出《だ》す氣《き》になつたものですね。その時《とき》の父《とう》さんは今《いま》の末子《すゑこ》より年《とし》が二つも下《した》でしたからね。
この東京行《とうきやうゆき》は、父《とう》さんが生《うま》れて初《はじ》めての旅《たび》でした。父《とう》さんが荷物《にもつ》の用意《ようい》といへば、小《ちひ》さな翫具《おもちや》の鞄《かばん》でした。それは美濃《みの》の中津川《なかつがは》といふ町《まち》の方《はう》から翫具《おもちや》の商人《あきんど》が來《き》た時《とき》に、祖母《おばあ》さんが買《か》つて呉《く》れたものでした。
『お前《まへ》が東京《とうきやう》へ行《ゆ》く時《とき》には、この鞄《かばん》へ金米糖《こんぺいたう》を一ぱいつめてあげますよ。』
と祖母《おばあ》さんは言《い》ひました。父《とう》さんもその小《ちひ》さな鞄《かばん》に金米糖《こんぺいたう》を入《い》れてもらつて、それを持《も》つて東京《とうきやう》に出《で》ることを樂《たのし》みにしたやうなそんな幼少《ちひさ》な時分《じぶん》でした。

   五六 祖父《おぢい》さんと祖母《おばあ》さんのおせんべつ

祖母《おばあ》さんは、おせんべつのしるしにと言《い》つて、東京《とうきやう》へ出《で》る父《とう》さんのために羽織《はおり》や帶《おび》を織《お》つて呉《く》れました。
『トン/\ハタリ、トンハタリ。』
と祖母《おばあ》さんは例《れい》の玄關《げんくわん》の側《わき》にある機《はた》に腰掛《こしか》けまして、羽織《はおり》にする黄《き》八|丈《ぢやう》の反物《たんもの》と、子
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