たの》しい靜《しづ》かな道《みち》です。
父《とう》さんのお家《うち》のお墓《はか》は永昌寺《えいしやうじ》まで登《のぼ》る坂《さか》の途中《とちう》を左《ひだり》の方《はう》へ曲《まが》つて行《い》つたところにありました。これが誰《だれ》だ、あれが誰《だれ》だ、と言《い》つて祖母《おばあ》さんの教《おし》へて呉《く》れるお墓《はか》の中《なか》には、戒名《かいみやう》の文字《もじ》を赤《あか》くしたのが有《あ》りました。その赤《あか》い戒名《かいみやう》はまだこの世《よ》に生《い》きて居《ゐ》る人《ひと》で、旦那《だんな》さんだけ亡《な》くなつた曾祖母《ひいおばあ》さんのやうな人《ひと》のお墓《はか》でした。祖母《おばあ》さんは古《ふる》い苔《こけ》の生《は》えたお墓《はか》のいくつも並《なら》んだ石壇《いしだん》の上《うへ》を綺麗《きれい》に掃《は》いたり、水《みづ》をまいたりして、
『御先祖《ごせんぞ》さま、今日《こんにち》は。』
と言《い》ふやうにお花《はな》を上《あ》げました。祖母《おばあ》さんがお墓《はか》の竹箒《たけぼほぎ》を立《た》てかけて置《お》くところは大《おほ》きな杉《すぎ》の木《き》の根《ね》キでしたが、その杉《すぎ》の木《き》の間《あひだ》から馬籠《まごめ》の村《むら》が見《み》えました。
お墓《はか》にある御先祖《ごせんぞ》さまは永昌院殿《えいしやうゐんどん》と言《い》ひました。永昌寺《えいしやうじ》のお寺《てら》と同《おな》じ名《な》でした。あの御先祖《ごせんぞ》さまが馬籠《まごめ》の村《むら》も開《ひら》けば、お寺《てら》も建《た》てたといふことです。あれは父《とう》さんのお家《うち》の御先祖《ごせんぞ》さまといふばかりでなく、村《むら》の御先祖《ごせんぞ》さまでもあるといふことです。
なんと、あの御先祖《ごせんぞ》さまのやうに、開《ひら》かうと思《おも》へばこんな村《むら》も開《ひら》けて行《ゆ》きますし、建《た》てようと思《おも》へば永昌寺《えいしやうじ》のやうなお寺《てら》が建《た》つて、それが父《とう》さんの代《だい》まで續《つゞ》いて來《き》て居《ゐ》ます。先《ま》づ、思《おも》へ。何《なに》もかもそこから始《はじ》まります。御先祖《ごせんぞ》さまがさう思《おも》つてこんな山《やま》の中《なか》へ村《むら》を開《ひら》きはじめたといふことには、大《おほ》きな力《ちから》がありますね。
四四 蜂《はち》の子《こ》
地蜂《ぢばち》といふ蜂《はち》は、よく/\土《つち》のにほひが好《す》きと見《み》えまして、地《ぢ》べたの中《なか》へ巣《す》をかけます。土手《どて》の側《わき》のやうなところへ巣《す》の入口《いりぐち》の穴《あな》をつくつて置《お》きます。
蜜蜂《みつばち》、赤蜂《あかばち》、土蜂《つちばち》、熊《くま》ン蜂《ばち》、地蜂《ぢばち》――木曾《きそ》のやうな山《やま》の中《なか》にはいろ/\な蜂《はち》が巣《す》をかけますが、その中《なか》でも大《おほ》きな巣《す》をつくるのは熊《くま》ン蜂《ばち》と地蜂《ぢばち》です。熊《くま》ン蜂《ばち》は古《ふる》い土塀《どへい》の屋根《やね》の下《した》のやうなところに大《おほ》きな巣《す》をかけますが、地蜂《ぢばち》の巣《す》もそれに劣《おと》らないほどの堅固《けんご》なもので、三|階《がい》にも四|階《かい》にもなつて居《ゐ》て、それが漆《うるし》の柱《はしら》で支《さゝ》へてあります。こんなに地蜂《ぢばち》の巣《す》[#「巣《す》」は底本では「親《おや》」]は大《おほ》きいのですが、地蜂《ぢばち》の親《おや》といふものは小《ちひ》さな蜂《はち》で、熊《くま》ン蜂《ばち》の半分《はんぶん》もありません。あの小《ちひ》さな建築技師《けんちくぎし》が三|階《がい》も四|階《かい》もある巣《す》を建《た》てゝ、一|階《かい》毎《ごと》に澤山《たくさん》な部屋《へや》を造《つく》るのですから、そこには餘程《よほど》の協《あは》せた力《ちから》といふものが入《はい》つて居《ゐ》るのでせう。
父《とう》さんの田舍《ゐなか》の方《はう》ではあの蜂《はち》の子《こ》を佃煮《つくだに》のやうにして大層《たいそう》賞美《しやうび》すると聞《き》いたら、お前達《まへたち》は驚《おどろ》くでせうか。一口《ひとくち》に蜂《はち》の子《こ》と言《い》ひましても、木曾《きそ》で賞美《しやうび》するのは地蜂《ぢばち》の巣《す》から取《と》つた子《こ》だけです。蜂《はち》の親《おや》は食《た》べませんが、どうかするとあの巣《す》の中《なか》からは親《おや》に成《な》りかけたのが出《で》て來《き》ます。それを食《た》べます。お前達《まへたち》はそこいらに居《
前へ
次へ
全43ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング