入口《いりぐち》と、入口《いりぐち》が二つになつて居《ゐ》ましたが、その臺所《だいどころ》の入口《いりぐち》から見《み》ますと、爐邊《ろばた》ではもう夕飯《ゆふはん》が始《はじ》まつて居《ゐ》ました。ところが誰《だれ》も父《とう》さんに『お入《はい》り』と言《い》ふ人《ひと》がありません。『早《はや》く御飯《ごはん》をおあがり』と言《い》つて呉《く》れる者《もの》も有《あ》りません。父《とう》さんは自分《じぶん》のしたことで、こんなに皆《みんな》を怒《おこ》らせてしまつたかと思《おも》ひました。そのうちに、
『お前《まへ》はそこに立《た》つてお出《い》で。』
といふ伯父《おぢ》さんの聲《こゑ》を聞《き》きつけました。あのお前達《まへたち》の伯父《おぢ》さんが、父《とう》さんには一番《いちばん》年長《うへ》の兄《にい》さんに當《あた》る人《ひと》です。父《とう》さんは問屋《とんや》の三|郎《らう》さんを泣《な》かせた罰《ばつ》として、庭《には》に立《た》たせられました。あか/\と燃《も》える樂《たの》しさうな爐《ろ》の火《ひ》も、みんなが夕飯《ゆふはん》を食《た》べるさまも、庭《には》の梨《なし》の木《き》の下《した》からよく見《み》えました。爺《ぢい》やは心配《しんぱい》して、父《とう》さんを言《い》ひなだめに來《き》て呉《く》れましたが、父《とう》さんは誰《だれ》の言《い》ふ事《こと》も聞《き》き入《い》れずに、みんなの夕飯《ゆふはん》の濟《す》むまでそこに立《た》ちつくしました。
斯《か》ういう塲合《ばあひ》に、いつでも父《とう》さんを連《つ》れに來《き》て呉《く》れるのはあのお雛《ひな》で、お雛《ひな》は父《とう》さんのために御飯《ごはん》までつけて呉《く》れましたが、到頭《たうとう》その晩《ばん》は父《とう》さんは食《た》べませんでした。
愚《おろ》かな父《とう》さんは、好い事《こと》でも惡《わる》い事《こと》でもそれを自分《じぶん》でして見《み》た上《うへ》でなければ、その意味《いみ》をよく悟《さと》ることが出來《でき》ませんでした。そのかはり、一度《いちど》懲《こ》りたことは、めつたにそれを二度《にど》する氣《き》にならなかつたのは、あの梨《なし》の木《き》の下《した》に立《た》たせられた晩《ばん》のことをよく/\忘《わす》れずに居《ゐ》たからでありませ
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