『良心《りやうしん》の眼《め》ざめ』だ、自分《じぶん》が一|生《しやう》の中《うち》のどんな出來事《できごと》でもあんなに深《ふか》く長續《ながつゞ》きのして殘《のこ》つたものはない、とその話《はなし》にも言《い》つてありましたつけ。 

   三一 梨《なし》の木《き》の下《した》

子供《こども》が片足《かたあし》づゝ揚《あ》げて遊《あそ》ぶことを、東京《とうきやう》では『ちん/\まご/\』と言《い》ひませう。土地《とち》によつては『足拳《あしけん》』と言《い》ふところも有《あ》るさうです。父《とう》さんの田舍《ゐなか》の方《ほう》ではあの遊《あそ》びのことを『ちんぐら、はんぐら』と言《い》ひます。
問屋《とんや》の三|郎《らう》さんは近所《きんじよ》の子供《こども》の中《なか》でも父《とう》さんと同《おな》い年《どし》でして、好《い》い遊《あそ》び友達《ともだち》でした。父《とう》さんがお家《うち》の表《おもて》に出《で》て遊《あそ》んで居《を》りますと、何時《いつ》でも坂《さか》の上《うへ》の方《はう》から降《お》りて來《き》て一|緒《しよ》に成《な》るのは、この三|郎《らう》さんでした。二人《ふたり》は片足《かたあし》づゝ揚《あ》げまして、坂《さか》になつた村《むら》の往来《わうらい》を『ちんぐら、はんぐら』とよく遊《あそ》びました。
ある日《ひ》の夕方《ゆふがた》の事《こと》、父《とう》さんは何《なに》かの事《こと》で三|郎《らう》さんと爭《あらそ》ひまして、この好《よ》い遊《あそ》び友達《ともだち》を泣《な》かせてしまひました。三|郎《らう》さんの祖母《おばあ》さんといふ人《ひと》は日頃《ひごろ》三|郎《らう》さんを可愛《かあい》がつて居《ゐ》ましたから、大層《たいそう》立腹《りつぷく》して、父《とう》さんのお家《うち》へ捩《ね》じ込《こ》んで來《き》たのです。問屋《とんや》の祖母《おばあ》さんと言《い》へば、なか/\負《ま》けては居《ゐ》ない人《ひと》でしたからね。
父《とう》さんはお家《うち》へ歸《かへ》ればきつと叱《しか》られることを知《し》つて居《ゐ》ましたから、しょんぼりと門《もん》の内《なか》まで歸《かへ》つて行《い》きました。お家《うち》には廣《ひろ》い板《いた》の間《ま》の玄關《げんくわん》と、田舍風《ゐなかふう》な臺所《だいどころ》の
前へ 次へ
全86ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング