祖父《おぢい》さんもお健者《たつしや》ですか。』と尋《たづ》ねるらしいのでしたが燕《つばめ》の言《い》ふことは早口《はやぐち》で、
『ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ。』
としか父《とう》さんには聞《きこ》えませんでした。
斯《か》うした言葉《ことば》の通《つう》じない燕《つばめ》も、村《むら》に住《す》み慣《な》れて、家々《いへ/\》の軒《のき》に巣《す》をつくり、くちばしの黄色《きいろ》い可愛《かあい》い子供《こども》を育《そだ》てる時分《じぶん》には、大分《だいぶ》言葉《ことば》がわかるやうになりました。燕《つばめ》が父《とう》さんのところへ來《き》て何《なに》を言《い》ふかと思《おも》ひましたら、こんなことを言ひ《い》ました。
『私共《わたしども》は遠《とほ》い國《くに》の方《はう》から參《まゐ》るものですから、なか/\言葉《ことば》が覺《おぼ》えられません、でも、あなたがたが親切《しんせつ》にして下《くだ》さるのを、何《なに》より有難《ありがた》く思《おも》ひます。鶫《つぐみ》といふ鳥《とり》や鶸《ひわ》といふ鳥《とり》は、何《なん》百|羽《ぱ》飛《と》んで參《まゐ》りましても、みんな網《あみ》や黐《もち》に掛《かゝ》つてしまひますが、私共《わたしども》にかぎつて軒先《のきさき》を貸《か》して下《くだ》すつたり巣《す》をかけさせたりして下《くだ》さいます。それが嬉《うれ》しさに、斯《か》うして毎年《まいねん》旅《たび》をして參《まゐ》るのです。』

   一四 永昌寺《えいしやうじ》

『今日《こんにち》は。』
と狐《きつね》が永昌寺《えいしやうじ》の庭《には》へ來《き》て言《い》ひました。永昌寺《えいしやうじ》とは、父《とう》さんの村《むら》のお寺《てら》です。そのお寺《てら》に、桃林和尚《たうりんをしやう》といふ年《とし》とつた和尚《をしやう》さんが住《す》んで居《ゐ》ました。この僧侶《ばうさん》は心《こゝろ》の善《よ》い人《ひと》でした。
『お前《まへ》は何《なに》しに來《き》ました。』
と桃林和尚《たうりんをしやう》が尋《たづ》ねますと、狐《きつね》の言《い》ふことには、
『わたしはお寺《てら》を拜見《はいけん》にあがりました。』
父《とう》さんが初《はじ》めてあがつた小學校《せうがくかう》も、この和尚《をしやう》さんの住《す》むお寺《てら》の近《ち
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