か》くにありました。小學校《せうがくかう》の生徒《せいと》に狐《きつね》がついたと言《い》つて、一|度《ど》大騷《おほさわ》ぎをしたことがありました。父《とう》さんはその時分《じぶん》はまだ幼少《ちひさ》くてなんにも知《し》りませんでしたが、その狐《きつね》のついたといふ生徒《せいと》は口《くち》から泡《あわ》を出《だ》し、顏色《かほいろ》も蒼《あを》ざめ、ぶる/″\震《ふる》へてしまひました。何度《なんど》も/\も名前《なまへ》を呼《よ》ばれて、漸《やうや》くその生徒《せいと》は正氣《しやうき》に復《かへ》つた事《こと》がありました。桃林和尚《たうりんをしやう》はその話《はなし》も聞《き》いて知《し》つて居《を》りましたから、いづれ狐《きつね》がまた何《なに》か惡戯《いたづら》をするためにお寺《てら》へ訪《たづ》ねて來《き》たに違《ちが》ひないと、直《すぐ》に感《かん》づきました。
『和尚《をしやう》さん、和尚《をしやう》さん、こちらは大層《たいそう》好《よ》いお住居《すまゐ》ですね。この村《むら》に澤山《たくさん》お家《うち》がありましても、こちらにかなふところはありません。村中《むらぢう》第《だい》一の建物《たてもの》です。こんなお住居《すまゐ》に被入《いら》しやる和尚《をしやう》さんは仕合《しあは》せな方《かた》ですね。』
斯《か》う狐《きつね》は言《い》ひました。狐《きつね》は調戯《からか》ふつもりでわざと桃林和尚《たうりんをしやう》の機嫌《きげん》を取《と》るやうにしましたが、賢《かしこ》い和尚《をしやう》さんはなか/\その手《て》に乘《の》りませんでした。
『ハイ、御覽《ごらん》の通《とほ》り、村《むら》では大《おほ》きな建物《たてもの》です。しかしこのお寺《てら》は村中《むらぢう》の人達《ひとたち》の爲《た》めにあるのです。私《わたし》はこゝに御奉公《ごほうこう》して居《ゐ》るのです。お前《まへ》さんは私《わたし》がこの住居《すまゐ》の御主人《ごしゆじん》のやうなことを言《い》ひますが私《わたし》は唯《たゞ》こゝの番人《ばんにん》です。』
斯《か》う桃林和尚《たうりんをしやう》が答《こた》へましたので、狐《きつね》は頭《あたま》を掻《か》き/\裏《うら》の林《はやし》の方《はう》へこそ/\隱《かく》れて行《ゆ》きました。
桃林和尚《たうりんをしやう》
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