隣《となり》の八幡屋《やはたや》の方《はう》へ飛《と》んで行《ゆ》くのもあります。ずつと坂《さか》の下《した》の方《はう》の三|浦屋《うらや》という宿屋《やどや》の方《はう》へ飛《と》んで行《ゆ》くのもあります。村《むら》で染物《そめもの》をする峯屋《みねや》へも、俵屋《たはらや》のお婆《ばあ》さんの家《うち》へも、和泉屋《いづみや》の和太郎《わたらう》さんのお家《うち》へも飛《と》んで行《ゆ》きました。父《とう》さんが村役塲《むらやくば》の前《まへ》を通《とほ》りますと、そこへ來《き》て羽《はね》を休《やす》めて居《ゐ》る燕《つばめ》もありました。燕《つばめ》は役塲《やくば》の前《まへ》に建《た》てゝある木《き》の標柱《はしら》を眺《なが》めて、さも/\遠《とほ》い旅行《りよかう》をして來《き》たやうな顏《かほ》をして居《ゐ》ました。
『長野縣《ながのけん》西筑摩郡《にしちくまごほり》木曾神坂村《きそみさかむら》』とその木《き》の標柱《はしら》には書《か》いてあるのです。父《とう》さんは燕《つばめ》の話《はなし》を聞《き》いて見《み》たいと思《おも》ひまして、いろ/\に話《はな》しかけましたが、まるでこの燕《つばめ》は異人《ゐじん》でした。一|向《かう》に言葉《ことば》が通《つう》じませんでした。
『もしもし、燕《つばめ》さん、お前《まへ》さんは一|年《ねん》に一|度《ど》づゝ、この村《むら》へ來《く》るではありませんか。遠《とほ》い國《くに》の方《はう》へ行《い》つて居《ゐ》て、日本《にほん》の言葉《ことば》も忘《わす》れたのですか。』と父《とう》さんが言《い》ひますと、燕《つばめ》は懷《なつ》かしい國《くに》の言葉《ことば》で物《もの》を言《い》ひたくても、それが言《い》へないといふ風《ふう》で、唯《ただ》、ペチヤ、クチヤ、ペチヤ、クチヤ、異人《ゐじん》さんのやうな解《わか》らないことを言《い》ひました。
燕《つばめ》は嬉《うれ》しさうに父《とう》さんを見《み》て尻尾《しつぽ》の羽《はね》を左右《さいう》に振《ふり》ながら、遠《とほ》い空《そら》から漸《やうや》くこの山《やま》の中《なか》へ着《つ》いたといふ話《はなし》でもするらしいのでした。それを國《くに》の言葉《ことば》で言《い》へば、『皆《みな》さん、お變《かは》りもありませんか、あなたのお家《うち》の
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