祖母《おばあ》さん、伯父《おぢ》さん、伯母《おば》さんの顏《かほ》から、奉公《ほうこう》するお雛《ひな》の顏《かほ》まで、家中《うちぢう》のものゝ顏《かほ》は焚火《たきび》に赤《あか》く映《うつ》りました。その樂《たのし》い爐邊《ろばた》には、長《なが》い竹《たけ》の筒《つゝ》とお魚《さかな》の形《かた》と繩《なは》とで出來《でき》た煤《すゝ》けた自在鍵《じざいかぎ》が釣《つ》るしてありまして、大《おほ》きなお鍋《なべ》で物《もの》を煮《に》る塲所《ばしよ》でもあり家中《うちぢう》集《あつ》まつて御飯《ごはん》を食《た》べる塲所《ばしよ》でもありました。父《とう》さんの田舍《ゐなか》では寒《さむ》くなると毎朝《まいあさ》芋焼餅《いもやきもち》といふものを燒《や》いて、朝《あさ》だけ御飯《ごはん》のかはりに食《た》べました。蕎麥《そば》の粉《こ》に里芋《さといも》の子《こ》をまぜて造《つく》つたその燒餅《やきもち》の焦《こ》げたところへ大根《だいこん》おろしをつけて焚火《たきび》にあたりながらホク/\食《た》べるのは、どんなにおいしいでせう。その蕎麥《そば》の香《にほ》ひのする燒《や》きたてのお餅《もち》の中《なか》から大《おほ》きな里芋《さといも》の子《こ》なぞが白《しろ》く出《で》て來《き》た時《とき》は、どんなに嬉《うれ》しいでせう。爺《ぢい》やは御飯《ごはん》の時《とき》でも、なんでも、草鞋《わらぢ》ばきの土足《どそく》のまゝで爐《ろ》の片隅《かたすみ》に足《あし》を投《な》げ入《い》れましたが、夕方《ゆふがた》仕事《しごと》の濟《す》む頃《ころ》から草鞋《わらぢ》をぬぎました。爐邊《ろばた》にある古《ふる》い屏風《べうぶ》の側《わき》が爺《ぢい》やの夜《よ》なべをする塲所《ばしよ》ときまつて居《ゐ》ました。爺《ぢい》やはその屏風《べうぶ》の側《わき》に新《あたら》しい藁《わら》なぞを置《お》いて、父《とう》さんのために小《ちひ》さな草履《ざうり》を造《つく》つたり、自分《じぶん》ではく草鞋《わらぢ》を造《つく》つたりしました。爺《ぢい》やのお伽話《とぎばなし》はその時《とき》に始《はじ》まるのでした。
父《とう》さんはこの好《す》きな老人《らうじん》から、畠《はたけ》よりあらはれた狸《たぬき》や狢《むじな》の話《はなし》、山《やま》で飛《と》び出《だ》した雉
前へ
次へ
全86ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング