げに行《い》つた事《こと》を覺《おぼ》えて居《ゐ》ます。湯舟澤《ゆぶねざは》といふ方《はう》へ寄《よ》つた山《やま》のはづれに、山《やま》の神《かみ》さまが祭《まつ》つてありました。その小《ちひ》さな祠《やしろ》の前《まへ》に、米《こめ》の粉《こ》で造《つく》つたお餅《もち》をあげて來《き》ました。その邊《へん》は、どつちを向《む》いても深《ふか》い山《やま》ばかりで、爺《ぢい》やにでも隨《つ》いて行《ゆ》かなければ、とても幼少《ちひさ》な時分《じぶん》の父《とう》さんが獨《ひと》りで行《ゆ》かれるところではありませんでした。
山《やま》や林《はやし》は父《とう》さんの故郷《ふるさと》です。父《とう》さんのやうに大《おほ》きくなつても、忘《わす》れずに居《ゐ》るのは、その故郷《ふるさと》です。父《とう》さんは爺《ぢい》やに連《つ》れられて深《ふか》い林《はやし》の方《はう》へも行《い》つて見《み》ました。そこへ行《ゆ》くと爺《ぢい》やの伐《き》つた木《き》がありました。松葉《まつば》の積《つ》んだのもありました。爺《ぢい》やはその木《き》を背負《しよ》つたり、松葉《まつば》を背負《しよ》つたりして、お家《うち》の木小屋《きごや》の方《はう》へ歸《かへ》つて來《く》るのでした。
この爺《ぢい》やは庄吉《しようきち》といふ名《な》で、父《とう》さんの生《うま》れない前《まへ》からお家《うち》に奉公《ほうこう》して居《ゐ》ました。
『よ、どつこいしよ。』
と爺《ぢい》やは山《やま》からかついで來《き》た木《き》をおろしました。木小屋《きごや》のなかでそれを割《わ》りました。この爺《ぢい》やの大《おほ》きな手《て》は寒《さむ》くなると、皸《あかぎれ》が切《き》れて、まるで膏藥《かうやく》だらけのザラ/\とした手《て》をして居《ゐ》ましたが、でもその心《こゝろ》は正直《しやうぢき》な、そして優《やさ》しい老人《らうじん》でした。
爺《ぢい》やは山《やま》から伐《き》つて來《き》た木《き》を木小屋《きごや》にしまつて置《お》いて、焚《たき》つけにする松葉《まつば》もしまつて置《お》いて、要《い》るだけづゝお家《うち》の爐邊《ろばた》へ運《はこ》びました。赤々《あか/\》とした火《ひ》が毎日《まいにち》爐邊《ろばた》で燃《も》えました。曾祖母《ひいばあ》さん、祖父《おぢい》さん、
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