のし》みでした。
『凧《たこ》も見物《けんぶつ》で草臥《くたび》れました。もうそろ/\降《おろ》して下《くだ》さい。』
と凧《たこ》が言《い》ふものですから、父《とう》さんが絲《いと》をたぐりますと、凧《たこ》はフハ/\フハ/\空《そら》を舞《ま》ふやうにして、田圃《たんぼ》のところまで嬉《うれ》しさうに降《お》りて來《き》ました。
九 猿羽織《さるばおり》
猿羽織《さるばおり》と言《い》つて、父《とう》さんの田舍《ゐなか》の子供《こども》は、お猿《さる》さんの着《き》る袖《そで》の無《な》い羽織《はおり》のやうなものを着《き》ました。寒《さむ》くなるとそれを着《き》ました。その猿羽織《さるばおり》を着《き》て雪《ゆき》の中《なか》を飛《と》んで歩《ある》くのは、丁度《ちやうど》木曾《きそ》の山《やま》の中《なか》のお猿《さる》さんが、雪《ゆき》の中《なか》を飛《と》んで歩《ある》くやうなものでした。
十 雪《ゆき》は踊《をど》りつゝある
父《とう》さんの田舍《ゐなか》では、何處《どこ》の家《うち》でも板《いた》で屋根《やね》を葺《ふ》いて、風《かぜ》や雪《ゆき》をふせぐために大《おほ》きな石《いし》が並《なら》べて屋根《やね》の上《うへ》に載《の》せてありました。なんと、あの石《いし》を載《の》せた板屋根《いたやね》は山《やま》の中《なか》の住居《すまゐ》らしいでせう。山《やま》には大《おほ》きな檜木《ひのき》の林《はやし》もありますから、その厚《あつ》い檜木《ひのき》の皮《かは》を板《いた》のかはりにして、小屋《こや》の屋根《やね》なぞを葺《ふ》くこともありました。雪《ゆき》が來《く》ればさういふお家《うち》の屋根《やね》も埋《うづ》まつてしまひ、畠《はたけ》も白《しろ》くなり、竹藪《やけやぶ》も寢《ね》たやうになつてしまひます。
元気《げんき》な雀《すずめ》は、そんな歌《うた》[#ママ]に頓着《とんちやく》なしで、自分《じぶん》のお宿《やど》も忘れ《わす》れたやうに雪《ゆき》と一|緒《しよ》に踊《をど》つて歩《ある》きます。
坂路《さかみち》の多《おほ》い父《とう》さんの村《むら》では、氷滑《こほりすべ》りの出來《でき》る塲所《ばしよ》が行《ゆ》く先《さき》にありました。村《むら》の子供《こども》はみな鳶口《とびぐち》を持《も》つて凍《こゞ
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