でした。街道《かいだう》を通《とほ》る旅人《たびびと》は誰《たれ》でもその休茶屋《やすみぢやや》で休《やす》んで行《ゆ》くと見《み》えて、お猿《さる》さんもよく人《ひと》に慣《な》れて居《ゐ》ました。
父《とう》さんが東京《とうきやう》へ行《ゆ》く話《はなし》をしましたら、お猿《さる》さんも羨《うらや》ましさうに、
『わたしも一《ひと》つ金米糖《こんぺいたう》でも頂《いたゞ》いて、皆《みな》さんのお供《とも》をしたいものです。御覽《ごらん》の通《とほ》り、わたしはこの棧橋《かけはし》の番人《ばんにん》でして、皆《みな》さんのお供《とも》をしたいにも、こゝを置《お》いては行《ゆ》かれません。まあ、この山《やま》の中《なか》の土産話《みやげばなし》に、そこにある古《ふる》い石《いし》でもよく見《み》て行《い》つて下《くだ》さい。これから東京《とうきやう》へお出《いで》になりましたら、その石《いし》に發句《ほつく》が一つ彫《ほ》つてあつたとお話《はな》し下《くだ》さい。その發句《ほつく》をつくつたのは昔《むかし》[#ルビの「むかし」は底本では「むか」]の芭蕉翁《ばせををう》といふ人だとお話《はな》し下《くだ》さい。』
と言《い》ひました。
伯父《をぢ》さんも、吉《きち》さんも、友伯父《ともをぢ》さんも、みんなお猿《さる》さんの側《わき》へ來《き》まして、崖《がけ》の下《した》にある古《ふる》い石碑《せきひ》の文字《もじ》を讀《よ》みました。それには、
『かけはしやいのちをからむ蔦《つた》かづら』
としてありました
六七 山越《やまご》し
やがて、父《とう》さんは伯父《をぢ》さんに連《つ》れられて、『みさやま峠《たうげ》』といふ山《やま》を越《こ》しにかゝりました。
父《とう》さんも馬籠《まごめ》のやうな村《むら》に育《そだ》つた子供《こども》です。山道《やまみち》を歩《ある》くのに慣《な》れては居《ゐ》ます。それにしても、『みさやま峠《たうげ》』は見上《みあ》げるやうな險《けは》しい山坂《やまさか》でした。大人《おとな》の足《あし》でもなか/\骨《ほね》が折《を》れるといふくらゐのところでした。何故《なぜ》、伯父《をぢ》さんがそんな山越《やまご》しにかゝつたかといふに、早《はや》く皆《みんな》を連れて馬車《ばしや》のあるところまで出《で》たいと考《かんが》へたか
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