だぞや。早く出すようにしてくれよ」
 それを聞いて熊吉は起ちあがった。見舞いに来る親戚も、親戚も、きっと話の終りには看護婦に逢って行くことを持出して、何時の間にか姿を隠すように帰って行くのが、おげんに取っては可笑《おか》しくもあり心細くもあった。この熊吉が養生園の応接間の方から引返して来て、もう一度姉の部屋の外で声を掛けた時は、おげんもそこまで送りに出た。
 多勢で広い入口の部屋に集まって、その日の新聞なぞをひろげている看護婦達の顔付も若々しかった。丁度そこへ例の奥様も顔を見せた。
「これが弟でございます」
 とおげんは熊吉が編上げの靴の紐《ひも》を結ぶ後方《うしろ》から、奥様の方へ右の手をひろげて見せた。弟が出て行った後でも、しばらくおげんはそこに立ちつくした。
「きっと熊吉は俺を出しに来てくれる」
 とおげんは独《ひと》りになってから言って見た。
 翌朝、看護婦はおげんのために水薬の罎《びん》を部屋へ持って来てくれた。
「小山さん、今朝からお薬が変りましたよ」
 という看護婦の声は何となくおげんの身にしみた。おげんは弟の置いて行った土産を戸棚から取出して、それを看護婦に分け、やがて
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