せた。その笑いはある狡猾《こうかつ》な方法を思いついたことを通わせた。彼女は敷居の近くにその菓子を置いて、忍び足で弟の側へ寄った。
「姉さん、障子をしめて置いたら、そんな犬なんか入って来ますまいに」と熊吉は言った。
「ところが、お前、どんな隙間《すきま》からでも入って来る奴だ。何時《いつ》の間にか忍び込んで来るような奴だ。高い声では言われんが、奥様が産んだのはあの犬の子だぞい。俺はもうちゃんと見抜いている――オオ、恐《こわ》い、恐い」
とおげんはわざと身をすぼめて、ちいさくなって見せた。
熊吉は犬の話にも気乗りがしないで、他に話題をかえようとした。弟はこの養生園の生活のことで、おげんの方で気乗りのしないようなことばかり話したがった。でもおげんは弟を前に置いて、対《むか》い合っているだけでも楽みに思った。
やがて熊吉はこの養生園の看護婦長にでも逢って、姉のことをよく頼んで行きたいと言って、座を起《た》ちかけた。
「熊吉、そんなに急がずともよからず」
とおげんは言って、弟を放したくなかった。
彼女は無理にも引留めたいばかりにして、言葉をついだ。
「こんなところへ俺を入れたのはお前
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