来てくれた時にすら、おげんはある妬《ねた》ましさを感じて、あの弟の娘はこんな好い旦那を持つかとさえ思ったこともあった。そのはずかしい心持で病室の窓から延び上って眺めると、時には庭掃除をする男がその窓の外へ来た。おげんはそんな落葉を掃き寄せる音の中にすら、女を欺《だま》しそうな化物を見つけて、延び上り延び上り眺め入って、自分で自分の眼を疑うこともあった。
 ある夕方が来た。おげんはこの養生園へ来てから最早幾日を過したかということもよく覚えなかった。廊下づたいに看護婦の部屋の側を通って、黄昏時《たそがれどき》の庭の見える硝子《ガラス》の近くへ行って立った。あちこちと廊下を歩き廻っている白い犬がおげんの眼に映った。狆《ちん》というやつで、体躯《からだ》つきの矮小《ちいさ》な割に耳の辺から冠《かぶ》さったような長い房々とした毛が薄暗い廊下では際立って白く見えた。丁度そこへ三十五六ばかりになる立派な婦人の患者が看護婦の部屋の方から廊下を通りかかった。この婦人の患者はある大家から来ていて、看護婦はじめ他の患者まで、「奥様、奥様」と呼んでいた。
「お通り下さい」
 とおげんは奥様の方へ右の手をひろげ
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