黒柱の下に座った頃は、旦那の一番働けた時代であり、それだけまた得意な時代でもあった。地方の人の信用は旦那の身に集まるばかりであった。交際も広く、金廻りもよく、おまけに人並すぐれて唄《うた》う声のすずしい旦那は次第に茶屋酒を飲み慣れて、土地の芸者と関係するようになった。旦那が自分の知らない子の父となったと聞いた時は、おげんは復たかと思った。その時もおげんは家を出る決心までして、東京の方に集まっている親戚の家を訪ねに行ったこともあったが、人の諫《いさ》めに思い直して国へと引返した。あれほどおげんは頼み甲斐《がい》のない旦那から踏みにじられたように思いながらも、自分の前に手をついて平あやまりにあやまる旦那を眼前《めのまえ》に見、やさしい声の一つも耳に聞くと、つい何もかも忘れて旦那を許す気にもなった。おげんが年若な伜《せがれ》の利発さに望みをかけ、温順《おとな》しいお新の成長をも楽みにして、あの二人の子によって旦那の不品行を忘れよう忘れようとつとめるように成ったのも、あの再度の家出をあきらめた頃からであった。
そこまで思いつづけて行くと、おげんは独りで茫然《ぼうぜん》とした。それからの彼女が
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