那も達者、彼女もまだ達者で女のさかりの頃に、一度ならず二度ならず既にその事があった。旦那くらい好い性質の人で、旦那くらい又、女のことに弱い人もめずらしかった、旦那が一旗揚げると言って、この地方から東京に出て家を持ったのは、あれは旦那が二十代に当時流行の猟虎《らっこ》の毛皮の帽子を冠《かぶ》った頃だ。まだお新も生れないくらいの前のことだ。あの頃にもう旦那と関係した芸者は幾人となくあって、その一人に旦那の子が生れた。おげんがそれを自分の手で始末しないばかりに心配して、旦那の行末の楽みに再びこの地方へと引揚げて来た頃は、さすが旦那にも謹慎と後悔の色が見えた。旦那の東京生活は結局失敗で、そのまま古い小山の家へ入ることは留守居の大番頭に対しても出来なかった。旦那が少年の蜂谷を書生として世話したのも、しばらくこの地方に居て教員生活をした時代だった。旦那がある酌婦に関係の出来たのもその時代だ。その時におげんは旦那の頼みがたさをつくづく思い知って、失望のあまり家を出ようとしたが、それを果たさなかった。正直で昔気質《むかしかたぎ》な大番頭等へも詫《わび》の叶《かな》う時が来た。二度目に旦那が小山の家の大
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