り。源家に至りては極めて規模なく、極めて経綸なきものにして、藤原氏の如きは暫らく主家を横領したる手代のみ。藤原氏の時代には政権の一部分[#「一部分」に傍点]は猶《なほ》皇室に属したり。源氏北条氏の時代に於ては、政権は既に大方武門に帰したりと雖、なほ文学宗教等は王室の周辺にあつまれり。降《くだ》つて徳川氏に至りては、雄大なる規模を以て、政治をも、宗教をも、文学をも、悉くその統一権の下に集めたり。徳川氏は封建制度を完成したり、その「完成」とは即ち悉皆《しつかい》日本社会に当篏《あては》めたるものにして、再言すれば日本種族の精神が其制度に於て「満足」を見出すほどに完備したるなり。
徳川氏は封建としては、斯の如く完備したる制度を建設したり。故に徳川氏の衰亡は、即ち封建制度の衰亡ならざるべからず。日本民権は、徳川氏に於て、すべての封建制度の経験を積みたり、而して徳川氏の失敗に於て、すべての封建政府の失敗を見たり、天皇御親政は即ち其の結果なり。
徳川氏の失敗は封建制度の墜落となれり。明治の革命は二側面を有す、其一は御親政[#「御親政」に傍点]にして、其二は聯合躰[#「聯合躰」に傍点]の治者是な
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