《くれ/″\》も予め断り置きたる事なり。加ふるに閑少なく、書籍の便なく、事実の蒐集《しうしふ》思ふに任せぬことのみなるべければ、独断的の評論をなす方に自然傾むき易きことも、亦《ま》た予め諒承あらんことを請ふになむ。
 特に山路愛山先生に対して一言すべきことあり。爰《こゝ》にて是を言ふは奇《く》しと思ふ人あらんかなれど、余は元来余が為したる評論に就きて親切なる教示を望みたるものなるに、愛山君は余が所論以外の事に向て攻撃の位地に立たれ、少しも満足なる教示と見るべきはあらず、余は自ら受けたる攻撃に就きて云々するの必要を見ざれば、其儘に看過したり。本より、文学の事業なることは釈義といふ利刀を仮り来らずとも分明なることにして、文学が人生に渉るものなることは何人といへ雖《ども》、之を疑はぬなるべし。愛山先生|若《も》しこの二件を以て自らの新発見なりと思はゞ、余輩其の可なるを知らず。余は右の二件を難じたるものにあらず、余が今日の文学の為に、聊《いさゝ》か真理を愛するの心より、知交を辱《かたじけな》うする愛山君の所説を難じたるは、豈《あ》に虚空なる自負自傲《じふじがう》の念よりするものならんや。これを
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