せずして、詩の理と詩の美とをも究むるにあらざれば不可なるべし。
 人生を慰むるといふ事より、Pleasure なるものが、詩の美に於て、欠くべからざる要素なる事を知るを得べし。人生を保つといふ事より Utility なるものが、詩の理に於て、欠くべからざる要素なる事を知るべし。真に人生を慰め、真に人生を保つには、真に人生を観察し、人生を批評するの外に、真に人生を通訳することもなかるべからず。人生を通訳するには、人生を知覚[#「知覚」に傍点]せざるべからず。故に天賦の詩才ある人は、人間の性質を明らかに認識するの要あるなり。然らざればヂニアスは真個の狂人のみ、靴屋にもなれず、秘書官にもなれぬ白痴のみ。
 人生(Life)といふ事は、人間始まつてよりの難問なり、哲学者の夢にも此難問は到底解き尽くす可らずとは、古人も之を言へり。若し夫れ、社界的人生などの事に至りては、或は鋭利なる観察家の眼睛《がんせい》にて看破し得ることもあるべけれど、人生の Vitality に至りては、全能の神の外は全く知るものなかるべし。故に詩人の一生は、黙示の度に従ひて、人生を研究するものにして、感応の度に従ひて、人生を慰保するものなるべし。
 快楽と実用とは、主観に於ては美の要素[#「要素」に傍点]なりと雖、客観に於ては美の結果[#「結果」に傍点]なり、内部にありては、美を構成[#「構成」に傍点]するものなりと雖、外部の現象に於ては美の成果[#「成果」に傍点]なり。この二要素を論ずるに先《さきだ》ちて吾人は、
[#ここから3字下げ]
人生何が故に美を要するか
[#ここで字下げ終わり]
に就きて一言せざるべからず。
 音楽何の為に人生に要ある。絵画何が故に人生に要ある。極めて些末《さまつ》なる装飾品までも、何が故に人生に要ある。何が故に歌ある。何が故に詩ある。何が故に温柔なる女性の美ある。何が故に花の美ある。何が故に山水の美ある。是等の者はすべて遊惰《いうだ》放逸《はういつ》なる人間の悪習を満足せしむるが為に存するものなるか。もし然らんには、人生は是等の凡《すべ》ての美なくして成存することを得べし。然るに古往今来、尤も蛮野《ばんや》なる種族に、尤も劣等なる美の観念を有し、尤も進歩せる種族に、尤も優等なる美の観念を有するは、何が故ぞ。尤も蛮野なる種族にも、必らず何につけてか美を求むるの念ある事は、明白
前へ 次へ
全22ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北村 透谷 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング