旧世界の中に置かざりしなり。彼は平穏なる大改革家なり、然れども彼の改革は寧ろ外部の改革にして、国民の理想を嚮導《きやうだう》したるものにあらず。此時に当つて福沢氏と相対して、一方の思想界を占領したるものを、敬宇先生とす。
 敬宇先生は改革家にあらず、適用家なり。静和なる保守家にして、然も泰西の文物を注入するに力を効《いた》せし人なり。彼の中には東西の文明が狭き意味に於て相調和しつゝあるなり。彼は儒教道教を其の末路に救ひたると共に、一方に於ては泰西の化育を適用したり。彼は其の儒教的支那思想を以てスマイルスの「自助論」を崇敬[#「崇敬」に傍点]したり。彼に於ては正直なる採択[#「採択」に傍点]あり、熱心なる事業[#「事業」に傍点]はなし、温和なる崇敬[#「崇敬」に傍点]はあり、執着なる崇拝[#「崇拝」に傍点]はなし。彼をして明治の革命の迷児とならしめざるものは、此適用[#「適用」に傍点]、此採択[#「採択」に傍点]、此崇敬[#「崇敬」に傍点]あればなり。多数の漢学思想を主意とする学者の中に挺立して、能く革命の気運に馴致《じゆんち》し、明治の思想の建設に与《あづか》つて大功ありしものは、実に斯る特性あればなり。改革家として敬宇先生は無論偉大なる人物にあらざるも、保守家としての敬宇先生は、少くも思想界の一偉人なり。旧世界と新世界とは、彼の中にありて、奇有《けう》なる調和を保つことを得たり。
 福沢翁と敬宇先生とは新旧二大潮流の尤も視易き標本なり、吾人は極めて疎略なる評論を以て此二偉人を去らんとす。爰に至つて吾人は眼を転じて、政治界の変遷を観察せざるべからず。

     四、政治上の変遷

 族長制度の真相は蛛網《ちゆまう》なり。その中心に於て、その制度に適する、すべての精神を蒐《あつ》むるなり。而して数百数千の細流は其中心より出でゝ金環を周綴《しうてい》し、而して又た再び其の金環より中心に帰注するものなり。
 斯の如き真相は吾人、之を我が封建制度の上にも同じく認むるなり。欧洲各国の歴史が一度経過したる封建制度と我が封建制度との根本の相違は、蓋し此点に於て存するなり。然れども尤も多く族長制度的封建を完成したるは、之を徳川氏に見るのみ。足利氏は終始事多くして、制度としては何の見るべきところもなし、北条氏は実権は之を保有せしにせよ、其状態は恰も番頭の主家を摂理するが如くなりしな
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