民を率ゐて或処にまで達せんとする的《てき》の預言者は、斯かる時代に希ふ可からず。巧に国民の趨向《すうかう》に投じ、詳《つまびら》かに其の傾くところに従ひ、或意味より言はゞ国民の機嫌を取ることを主眼とする的《てき》の思想家より多くを得る能はず。爰に於て吾人は小説戯文界に於て、仮名垣魯文翁の姓名を没する能はず。更に高品なる戯文家としては成島柳北翁を推さゞるべからず。蓋《けだ》し魯文翁の如きは徳川時代の戯作者《げさくしや》の後を襲ぎて、而して此の混沌時代にありて放縦を極めたるものゝみ。柳北翁に至つては純乎たる混沌時代の産物にして、天下の道義を嘲弄し、世道人心を抛擲《はうてき》して、うろたへたる風流に身をもちくづしたるものなり。吾人は敢て魯文柳北二翁を詰責するものにあらず、唯だ斯かる混沌時代にありて、指揮者をもたざる国民の思想に投合すべきものは、悲しくも斯《かゝ》る種類の文学なることを明言するのみ。
眼を一方に転ずれば、彼《かの》三田翁が着々として思想界に於ける領地を拡げ行くを見るなり。文人としての彼は孳々《じゝ》として物質的知識の進達を助けたり、彼は泰西の文物に心酔したるものにはあらずとするも、泰西の外観的文明を確かに伝道すべきものと信じたりしと覚ゆ。教師としての彼は実用経済の道を開きて、人材の泉源を造り、社会各般の機務に応ずべき用意を厳にせり。故に泰西文明の思想界に於ける密雲は一たび彼の上に簇《あつ》まりて、而して後八方に散じたり。彼は実に平民に対する預言者の張本人なり。前号にも言ひし如く、維新の革命は前古未曾有の革命にして、精神の自由を公共的に振分けんとする革命にてあれば、此際に於て尤も多く時代に需《もと》めらるべきは、此目的に適ひたるものなるが故に、其第一着として三田翁は皇天の召に応じたるものなり。然れども吾人を以て福沢翁を崇拝するものと誤解すること勿れ、吾人は公平に歴史を研究せんとするものなり、感情は吾人の此塲合に於て友とするものにあらず、吾人は福沢翁を以て、明治に於て始めて平民間に伝道したる預言者なりと認む、彼を以て完全なる預言者なりと言ふにはあらず。
福沢翁には吾人、「純然たる時代の驕児《けうじ》」なる名称を呈するを憚《はゞか》らず。彼は旧世界に生れながら、徹頭徹尾、旧世界を抛《な》げたる人なり。彼は新世界に於て拡大なる領地を有すると雖、その指の一本すらも
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