したり、而して仏門の人間を離れたりしは、当時の文学の人間を離れたる大原因となりて居たりき。徳川氏の覇業を建つるや、恰《あたか》も漢土に於て儒教哲学の勃興せし時の事とて、文学の権を僧侶の手より奪ひ取ると同時に、儒教の趣味を満潮の如く注ぎ込みたり。然るに徳川氏の覇業は、性質の革命にあらずして形躰の革命に止まりしが故に、従つて起りたる文学の革命も、僧侶の手より儒者の手に渡りたるのみにして、其性質に於ては依然として国民の一半に充つべきものにてありたり、疑もなく文学は此時代に於て復興したり、然も其復興は仏と儒との入れ代りに過ぎずして、要するに高等民種に応用さすべきものたるに過ぎざりし。之に加ふるに徳川氏は文学を其政治の補益となすことに潜心したるが故に、儒教も亦た一種の徳川的儒教と化し了し、風化を補ひ世道を益し、徳川氏の時代に適《かな》ふべきものにあらざれば、文学として世に尚《たふと》ばるべからざるが如き観をなせり。これ即ち徳川氏の時代にありて、高等民種(武士)の文学は甚だ倫理の圏囲に縛せられて、其範囲内に生長したる主因なり。
 然れども倫理といふ実用を以て、文学の命運を縮むるは詩神の許さゞるところなり。爰に於て俳諧の頓《には》かに、成熟するあり、更に又た戯曲小説等の発生するあり。戦乱|罷《や》んで泰平の来る時、文運は必らず暢達《ちやうたつ》すべき理由あり、然れども其理由を外にして徳川時代の初期を視る時は、一方に於て実用の文学大に奨励せらるゝ間に、他方に於ては単に快楽の目的に応じたる文学の勃として興起したるを視るべし。武士は倫理に捕はれたり、而して平民は自由の意志《ウイル》に誘はれて、放縦なる文学を形成せり。爰に至りて平民的思想なるものゝ始めて文学といふ明鏡の上に照り出づるものあり、これ日本文学史に特書すべき文学上の大革命なるべし。
 吾人は此処《こゝ》に於て平民的思想の変遷を詳論せず、唯だ読者の記憶を請《こは》んとすることは、斯の如く発達し来りたる平民的思想は、人間の精神が自由を追求する一表象にして、その帰着する処は、倫理と言はず放縦と言はず、実用と言はず快楽と言はず、最後の目的なる精神の自由を望んで馳せ出たる最始の思想の自由にして、遂に思想界の大革命を起すに至らざれば止まざるなり。
 維新の革命は政治の現象界に於て旧習を打破したること、万目の公認するところなり。然れども吾人
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