醜美を見て直ちに其醜美を決するは、未だ美を判ずるの最後にあらず。外極めて醜なるものにして、内極めて美なるものあり。外極めて美にして、内極めて醜なるものあり。醜と美とを判《わか》つは、必らずしも其形象に関はるにあらざるなり。形躰にあらはれたる醜美を断ずるは、独り眼眸《がんぼう》のみ。眼眸は未だ以て醜美を断ずる唯一の判官となすべきにあらず。鼓膜亦た関つて力あるべきものなり。否、否、眼眸も鼓膜も未だ以て真に醜美を判ずべきものにあらざるなり。凡《およ》そ形の美は心の美より出づ。形は心の現象のみ。形を知るものは形なり、心を視るものは又た心ならざるべからず。造化は奇《く》しき力を以て、万物に自からなる声を発せしむ、之を以て聊《いさゝ》かその心を形状の外にあらはさしむ、之を以てその情を語らしめ、之を以てその意を言はしむ。無絃の大琴懸けて宇宙の中央にあり。万物の情、万物の心、悉《こと/″\》くこの大琴に触れざるはなく、悉くこの大琴の音とならざるはなし。情及び心、一々其軌を異にするが如しと雖《いへども》、要するに琴の音色の異なるが如くに異なるのみにして、宇宙の中心に懸れる大琴の音たるに於ては、均しきなり
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